中尾ハジメ「環境ジャーナリズム」2002

このページでは、京都精華大学 人文学部 環境社会学科の講義「環境ジャーナリズム」(2002年度前期)の公開をしています(後期授業はこちら)。「環境ジャーナリズム」は、環境文化コースの必修科目(2年次配当)で、中尾ハジメが担当していました。講義概要はこちらです。

この授業公開は「環境ジャーナリズム」受講生がテープおこししたものを編集しています。

「環境ジャーナリズム」の授業公開

第一回 2002年の環境ジャーナリズム
今年度の「環境ジャーナリズム」の授業計画と、「環境ジャーナリズム」が、どんな世界に、どのように存在しているのかを考えます。(授業:2002年4月16日、WEB公開:2002年4月28日)
第二回 原子爆弾をめぐる報道
広島の被爆を私たちは今どのように知っているだろうか。それは、その日からの56年間の「記憶」の集積なのだろうか。広島の被爆は、どのようにして世界に、私たちに、知られたのだろうか。このテーマを追って、まず原爆投下直後の新聞、またときのアメリカ合衆国大統領の声明文に焦点をあてる。(授業:2002年4月23日、WEB公開:2002年5月9日)
第三回 ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』
被爆30日目に広島入りしたウィルフレッド・バーチェットは「世界への警告」を打電したが、その後 GHQ は広島・長崎の惨状を「封印」する。プレス・コードは1949年まで日本の言論を徹底的に管理し、広島・長崎は日本の中でさえ伝えられなかった。ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」は、その状況の1946年8月に発表される。今回の環境ジャーナリズムでは、彼がその中で動くことのできた当時のジャーナリズム、とりわけハーシー自身の従軍記者としての経歴や、アメリカにおける盛んな雑誌出版活動という背景にふれ、「ヒロシマ」の発表が、アメリカ政府による被爆の実相の封印を衝撃的に突破したものとして、とらえようとする。(授業:2002年5月7日、WEB公開:2002年5月21日公開)
第四回 われわれが広島・長崎を知るのはジャーナリズムによってであることと、ジャーナリストにとっての分水嶺の話
ジャーナリズムがなければ、広島・長崎を世界の人々が知ることはなかった。ジョン・ハーシーが書かなければ、原爆を落とした国の人びとが、原爆の人間にとっての意味を知ることはなかった。この視点から、ジャーナリズムの人間社会における位置づけを試みる(授業:2002年5月14日、WEB公開:2002年6月4日公開)
第五回 ジャーナリズムが不能であった状況としての原爆開発へ
レポートを書く学生たちの問題意識は、ジャーナリズムがジャーナリズムであるための重要な「ものさし」をいくつか照らしだす。あたまえのように存在すると思っていたジャーナリズムだが、それが機能している状況と、機能していない状況があるという視点も提起された。さらに授業は、原爆開発のための巨大組織がどのようにつくられたか、という「出来事」をジャーナリズムはまったくとらえていなかったことに焦点をあて、「情報権力」の存在に言及しようとする。(授業:2002年5月21日、WEB公開:2002年6月5日公開)
第六回 相馬正一によりながら『重松日記』と『黒い雨』を考える
重松静馬が、広島被爆の8月6日から8月15日までの体験を書きあらわすのに15年の歳月がかけられていること、またその「重松日記」をもとに井伏鱒二が『黒い雨』を完成するまでさらに数年の時間がかけられていること。こういったことが意味する、ジャーナリズムがかかえる現実の状況との緊張関係に、あるいは時間をかけてもはたさねばならない課題であることに、注意を向けようとする。(授業:2002年5月28日、WEB公開:2002年6月14日)
第七回 戦略爆撃の思想
原子爆弾の開発は20世紀の戦慄すべき科学の歴史だった。しかしそれは、開発の可能性を科学者が認識するよりずっと以前に、ひとりのジャーナリストH.G.ウェルズによって描きだされた世界に他ならなかった。そこには、科学の思考というよりは、人間の恐るべき戦争の現実があり、戦争の思想があった。原爆開発史を戦略爆撃の思想の上に位置づけ、ナチス・ドイツのゲルニカ爆撃をはるかに超える日本軍の重慶への戦略爆撃に言及する。(授業:2002年6月4日、WEB公開:2002年7月7日)
第八回 ジャーナリズムが対象とする「事実・体験」とは何か
たしかに科学は普遍性を持っていなければならないが、知識としての科学は特定の限られた人間にしか通用しない。だから、わざわざ「科学」と呼ばれると言うこともできる。そのような特定の仲間にだけ意味を持つ科学と、「みんな」と呼ばれるような特定でない人々に共有されるジャーナリズムにとっての事実を分ける「ものさし」とは何か。(授業:2002年6月11日、WEB公開:2002年6月22日)
第九回 想像力を働かせないと、「事実」を述べることはできない
事実がだれかによって叙述され、そのことによって伝えられ、共有されるようになる。言いかえれば、だれかの作文という行為があってはじめて、事実は共有されうる形をとる。その作文は一見逆説的に、作者自身の思考あるいは想像力によらなければ成立しない。それに加えてジャーナリストは、自分の「作文」が信ずるに足る「事実」を表すことを示せるよう、使った材料あるいはニュースソースが何であったか、誰であったかを意識しつづけなければならない。(授業:2002年6月18日、WEB公開:2002年7月21日)
第十回 ジャーナリズムとは何か?──歴史に立ちあうことと歴史を生きること
ジョン・ハーシーが「ジャーナリズム」という言葉で意味するのは「ノンフィクション」である。しかしハーシーのいう「虚構(=フィクション)」によって、読者はむしろ歴史をありありと共有する。この意味でハーシーの仕事は、彼自身の言葉で「ジャーナリズム」と「フィクション」に分けられているにもかかわらず、歴史(人間の体験)をリアルに表現しようとする点においては一貫している。授業はさらに戸坂潤によりながら、社会における働きとしてのジャーナリズムという観念を確かなものにしようと試みる。(授業:2002年6月25日、WEB公開:2002年7月23日)
第十一回 前期授業で出現したジャーナリズムの諸問題を羅列する
原子爆弾をめぐる、とりわけ被爆の事実をめぐるジャーナリズムは、いわば有無を言わさず、人間社会にとってジャーナリズムが何であるかを明らかにする。その前期授業のなかで、ときには断片的に、示めされたジャーナリズムの内在的特性がいかなるものであったかを、再度俯瞰するべく羅列する。さらに、今日のジャーナリズムの常識的定義に反して、ジャーナリズムは日常や時事を超えて、長い時間展望を持つ人間の思想の表現でありうることに言及する。(授業:2002年7月2日、WEB公開:2002年8月7日)
第十二回 前期授業の反省と後期授業にむかうささやかな展望
環境社会学科の学生が新聞の記事を見るとき、なにをかの一言を持ってしかるべきであることに触れた後に、前期授業を振り返り、予定通り扱うことができなかったジャーナリズムの例──足尾鉱毒事件(『谷中村滅亡史』)、水俣病(『苦海浄土』)、宇井純(『公害原論』)──を確認し、後期授業で扱うことになる『苦海浄土』の冒頭を朗読。(授業:2002年7月9日、WEB公開:2002年7月27日)