第12回 プロパガンダ

第12回 「プロパガンダ」:もくじ

レポート課題、成績の評価方法をどうするか

谷中村滅亡史『谷中村滅亡史』の現代語訳は、結局難しいようですね。打率は非常によくて、ほとんどの人が一週間でやってくれたけど、パッとみると全然意味が違うのが多い。この(課題の)出来不出来で成績をつけることは可能ですが、どうしよう(笑い)。ちょっとね……。ちょっと、これで成績をつけたら問題かなという感じもします。1回目を出して、今回も出した人は、決して単位を落すことはないと思いますけど、「A」「B」「C」というのがあるよね。これをどういうふうにつけたものか、というのは悩みのタネです。だけども試験期間中に試験をやるという予定はありません。前期はあと1回で終わりかな。だから次週、この授業中に30分程度の時間をとって、みなさんに簡単なレポートをこの場で書いてもらう。ということをすると、まあ、3つ(課題が)あれば評価できるよね、と思います。

それから出席が非常に少ない人がいます。3分の2出ていないとダメだよ、という約束が一応あるんだよね。「履修のてびき」にそういうふうに書いてあったと思います。しかし、これ(出席表)をみると、いままで12回やって、6回欠席をしている人がいます。ということは、その人は今日来ていて、来週来ればセーフになる、はずもない(笑い)。13の3分の2というのは、いくつですか? 中途半端なんだよね。12の3分の2で考えて8回でしょ。だから割引して、8回出席しないとダメだというふうに考えると、いままで今日を含めて6回しか来ていない人は、来週来てもパーになっちゃうんだよ。自覚のある人は笑っているけれども(笑い)。せっかくその人たちは宿題もやってきたし、先週も来ているし、今日も来ている。というのは、そろそろ前期が終わるから、なんとなく危ないなという感じがあって、来ているんだと思いますが、その人たちを僕は救済したい(笑い)。だけど、約束があるから、タダでは救済できないので、その人たちには課題を出そうと思うんですよ。その課題は今日は用意していません。だけど「自分は救済されたい」と思う人は、僕のところまで来てください。わかった? 救済されないとヤバイ人いるよね。来年度のない人もいるよね。なんかやろうな。

(評価方法は)というようなことだと思ってください。以上のことで何か質問がある人いますか。いいよね。

次週のテーマ──石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』

それでは、今日の課題に行く前に、次週のテーマを説明しておきます。次週は『苦海浄土』(講談社、1969年、文庫版の初版は1972年)だよね。本当は今週やっているはずでしたが。『苦海浄土』は誰が書いたか知ってるよね。石牟礼道子だね。この本は目次のところをみていただいたらわかりますが、そのなかの「第二章 不知火海沿岸漁民」というところをよく読んできてください。

『苦海浄土』第二章を読んで考えるための資料1──昭和34年11月3日の朝日新聞

苦海浄土 わが水俣病これを読むために、材料になるようなことを少し足しておきたいと思うんですが、いま配った新聞記事(昭和34年11月3日 朝日新聞 大阪版)を印刷したものをちょっと見て。「漁民、押しかけ大乱闘 新日窒 水俣工場 “汚水中止”でまたデモ」と書かれています。「新日窒」というのは「新日本窒素」のことだね。1959年だね。昭和34年というのは、1959年のことです。11月3日の朝日新聞です。そこを見ると、まず「【水俣】」という言葉がありますが、これは水俣発ということだね。

熊本県不知火海区の漁民千五百余人は、二日ふたたび水俣市で漁民大会を開き、新日窒水俣工場の汚水放出を即時中止せよと同工場に要求、デモ行進ののち興奮したデモ隊は水俣工場になだれこみ、会社の建物多数を破損、警官七十二人をはじめ漁民、工場従業員合わせて多数の負傷者を出し、取材中の読売新聞熊本支局福里幹記者(二七)も漁民の投石で軽いけがをした。

というふうに書かれています。もうちょっと読もうかな。

この日、水俣病現地調査のため水俣市を訪れた国会水俣病調査団一行に陳情するため、船や列車などで水俣市百間港に集まった天草、八代などの漁民千五百人余は市内をデモ行進したのち午前十一時すぎ、熊本市から車をつらねて、水俣市入りした調査団一行を水俣市立病院前で万歳の歓呼で迎えた。

「百間」は「ひゃっけん」、「八代」は「やつしろ」と読みます。それでちょっとそのあと一段下がった構成になっていますね。なんでだろう? あんまりたいした問題ではありませんが、そうなっています。つまり「万歳の歓呼で迎えた」ときに、漁民代表の人がこういうことを陳情した、という陳情の内容が書かれているんだね。

その後漁民は水俣駅前で大会を開き、代表が会社で交渉することにしていたが、入り口を固くとざして交渉に応じそうにない工場側の態度を見てとった漁民は、大会は開かず、午後一時半ごろ、いきなりジグザグ行進で工場前につめかけた。あっという間に数人が正門前をよじのぼって中に入り、門をあけ漁民は工場内になだれ込んだ。

そのあとまた一段下げの構成になっていますが、これは工場内になだれこんで何が起こったかという描写部分だね。

不意をくって逃げまわる工場従業員を、酒気を帯びた一部の漁民は棒ぎれや小石で追いまわし、正門の詰め所、本館事務室、研究室、配電室など十余の建物になだれこみ、手当たり次第にガラス戸をたたき破り、電話機をひきちぎり、書類をまき散らした。中には倉庫から書類を持ち出しこれに火を放つ者もあって、消防車も出動した。

水俣署は熊本県警本部機動隊や、付近各署から応援を得て、約三百人を待機させていたが、工場側が、警官隊の工場内待機を要請していなかったため、突然の工場乱入に間に合わず、急をきいてかけつけた警察輸送車も窓ガラスを全部破られて門前に立ち往生。約四十分間漁民は暴力をほしいままにした。午後二時すぎ、ようやく警官隊がくり込み、漁民幹部も制止を命じたので小ぜりあいをしながらも、漁民を工場正門前に押し出し午後九時すぎ四人が釈放されたため、漁民側は解散した。

「四人が釈放された」って、いったい何人が捕まっていたか全然わかりませんが、こういう記事が11月3日の朝日新聞に出ました。これは大阪版です。大阪本社版ってやつだね。これがひとつの『苦海浄土』の第二章を読むための資料になるね。みなさんには、記事の部分を拡大して配りましたが、全体の紙面を見ると社会面の中ほど右にいま読んだ記事が載っています。左上には「サザエさん」という四コママンガが載っています。「サザエさん」知っている人? (たくさん手が挙がったのを見て)そうか知ってるのか。

そのときはどういう時代かというと、第1面を見ると、「全労 新党の支柱に 新運動方針案を決定 政権獲得を期待 官公労へ積極工作」と書いてあります。「全労」というのは労働組合の全国組織です。「官公労」っていうのは、高官庁で働いている人の労働者の労働組合だね。そこへ「全労」という労働者の全国組織があって、それが新しい政党をつくれつくれと言っているわけだね。1959年。そのとき社会党は、社会党のなかにある種の分裂が起こって、「“容共左派と決別”」というのは共産党を容認する左派とは決別をする、ということが書かれています。結局これは社会民主党になるわけですが、いまのと違うよ。昔のね。1945年に戦争は終わりましたけど、いわゆる55年体制というのができあがって、それから4年経った時点での話です。それくらいでいいかな。

みなさんはいま「漁民、押しかけ大乱闘」という新聞記事をみて、どういうふうに問題をとらえることができたか、できないか。よくわからない、ということかもしれませんけれども、間違いなくある印象を持つよね。そのことをちょっとノートに走り書きしてごらん。この記事のどこに注目したか。あるいは、どういうふうに受け取ったかまで書くことができればさらに結構です。そして、自分が書くべきことはわかったよね。メモ程度で結構です。メモしてください。

『苦海浄土』第二章を読んで考えるための資料2──「水俣病関係年譜」と「続・水俣病関係年譜」

写真集 水俣そして、次に見ていただきたいのは、「水俣病関係年譜」(年譜作成:山上徹二郎、出典:W.ユージン・スミス、アイリーン M.スミス、中尾ハジメ訳、『写真集 水俣』三一書房、1982年、pp.178-183)というのがあるよね。もともとこういう作業は、みなさんが各自でやっていただきたいことですけれども、特別サービスで年譜を配っておきましょう。そうすると、この年譜の一番最初「1906.1.12 野口遵、鹿児島県大口村に曽木電気を創設」とあります。「野口遵」は「のぐち じゅん」と読みます。「曽木電気」は会社の名前ですが、この会社は発電をしていたんだね。明治39年のことです。荒畑寒村が『谷中村滅亡史』を書いたのは、1907年だね。そうすると、ほぼその時代であるということがわかります。

だんだん順を追ってみていくと、その会社が肥料会社になって、1932年には「水俣工場、アセトアルデヒド酢酸設備稼動開始。」と書かれている。1941年のところには「水俣工場、日本最初の塩化ビニール製造開始」と書かれている。1942年には、「水俣市月ノ浦に水俣病患者発生」、これはしかし、1972年の熊本大学第二次研究班の調査であきらかになったことであると書かれているね。いいかい?

それから1944年には「月ノ浦附近でカキの腐死が目立ちはじめ」た。1944年はまだ戦争が終わっておりませんけれども、戦争が終わったその次の年には、湾内にその範囲が拡大した、というふうに書かれています。そのころは水俣工場生産品に占める軍需品の割合は50%に達していたということが書かれている。1945年、空襲で壊滅的被害を受けた。しかし1946年、立ち直って、合成酢酸工場で製造を再開した。そして、水俣が市になって、人口が4万人を超えているということが1949年に書かれています。その年の10月には「塩化ビニール製造を再開」した。「廃水は百間港へ無処理放流」というふうに書かれています。

さて、注目をしていただきたいのは、1959年の11月2日です。ふたつのことが出ていますね。ひとつは水俣病原因物質としての有機水銀説が言われるようになるんですが、1959年だよ。さっき書いてあったように、昭和17年に水俣病患者が発生していたということは、実はずーっとあとになってから調べてわかったことですが、たくさんの患者が発生しはじめたのは、さあ、いつごろでしょう? どこかに書いてあると思いますよ。

1953年の12月15日「水俣病公式認定患者第1号発病」、「その時原因不明」と書かれています。1953年、これがひとつだね。あんまりそこに詳しくは書かれていませんけれども、続けざまにたくさんの人がこの病気にかかります。実はそこに、水俣に茂道という地区がありますが、「茂道南部・出月地区でネコが『ネコおどり病』で死亡」というふうに書かれていますが、「ネコおどり病」はもうちょっと前からあったんだね。ただ人間にこの病気が多発するとともに、ネコも実は同じような症状を見せているということが注目された、という意味だね。

それが1953年であったとすれば、そこから6年経った11月の時点で、さきほど読んだように11月の2日、チッソは「水俣病原因物質としての有機水銀説に対する見解」を出しています。つまりチッソから出る廃水が原因ではない、ということを主張しているんだね。11月2日はもうひとつ書いてあります。「不知火海沿岸漁民総決起大会」。さっきみなさんが新聞記事で読んだやつだね。いいですか。

さあ、こういうのを見ていただくと、そのあとも延々とこの年譜は続いています。続いていて、後ろから2枚目を見てもらうと、「続・水俣病関係年譜」(年譜作成 木野茂、新装版『写真集 水俣』、三一書房、1991年、新装版付録小冊子「水俣病の現在」pp.14-16)というのがあって、これは1991年に入って、まだ水俣病をめぐっていろいろな動きがあるということが書かれています。言うまでもなく、2003年の現時点でも水俣病をめぐっていろいろな動きがあるんだよね。あたりまえだけどね。こういうものをみると、『苦海浄土』の第二章がさらによく理解されると思います。

今日の本題──「プロパガンダ」

それで、それはしまっていただいて、ひっぱり出していただかないといけないのは、先週配った『ブリタニカ国際百科事典』から引いてきた「プロパガンダ」のプリントだね。みんな読んできたよね。

まず、「プロパガンダ」というのは特別なことで、教育とは違うと書かれています(『ブリタニカ国際百科事典』p.725)。これをそうだな、というふうに感じた人いるかな? 「プロパガンダ」は 教育と違う、って書いてあるよね。教育と違うということを、納得できる人は? 納得できない人は?

みなさんは、もし「教育」とは何か説明しろ、と言われたら、なんて言って説明する? 教育を説明するっていう方法をちょっと考えてくださいね。ついでにこういうのも書いておこう(と言って、ホワイトボードに

  • 教育
  • プロパガンダ
  • ジャーナリズム

とならべて書く)。難しいですね、なかなかね。「教育」を説明しなさい。みなさんが、百科事典を書く仕事で、これだけの分量を書くと10万円もらえるとしよう(笑い)。じゃあ、10万円ほしいから、「教育」っていうのを書こうと思って書くわけですね。ちょっとそういう課題を想像してください。

「プロパガンダ」という課題も実は書くことは難しい。このブルース・スミス(Bruce L. Smith)という人が書いて、それを大森彌という人が訳したんだね。これは翻訳です。ブルース・スミスは一生懸命がんばって、「プロパガンダ」はこういうふうに描くことができる。「プロパガンダ」の特徴はなにか、あるいはどういうことがあれば、例えば「プロパガンダ」というふうに呼ぶことができるか、というふうに考えるわけだね。

ものすごく不思議なことで、また実は不思議でもなんでもないんだけれども、「教育」というのは存在するよね。それでこれ(この授業)もその一部だよね(笑い)。しかし、そのなかにいる自分たちは、その教育を対象化して描くことはなかなか難しいんです。

そして、「プロパガンダ」というのも存在するんです。みなさんは、取りあげて問題にするという意味では初めて聞くかもしれません。けれども、それでも「プロパガンダ」は存在するんです。言葉が存在するだけじゃなくて、その言葉が指すものがあるんだね。

それから「ジャーナリズム」というのも、「ジャーナリズム」という言葉はもちろんあるし、その言葉が指すものも存在する。「プロパガンダ」にしても「ジャーナリズム」にしても、実は多くの人がこの言葉を使うけれども、何を指すかということがはっきりしません。(はっきり)しないところがあります。それは、大胆に言うと、「教育」という言葉が何を指すのかはっきりしないのと非常によく似ています。

例えば、この授業は、「ジャーナリズム」という言葉が何を指すかということも考えなければしょうがないな、ということになっているんだよね。それで「教育」という言葉が何を指すのか。あるいは何を指して「教育」と言ったほうがいいか、意味があるか、ということを考える。だから、あらかじめ「教育」ということが、しっかり先生にわかっていて、みなさんが、先生が言うことをただ憶えるということじゃないんだよね。「プロパガンダ」についてもそうなんです。「ジャーナリズム」についてもそうなんです。ということが、まずひとつあります。

それから、わざわざ「プロパガンダ」という言葉を事典ではどう書いてあるか、みなさんに読んでもらったのはなぜかと言うと、これはみなさんが「ジャーナリズム」を考えるときに、やっぱり「プロパガンダ」のことも考えておかなければならない、という理由からだね。

前回は、実は「主張とプロパガンダ」という言葉を使って、「ジャーナリズム」と「プロパガンダ」の関係を考えようとしていました。でもできなかったね。ちょこっとやっただけだね。それでも相変わらず、「主張」という言葉と「プロパガンダ」という言葉を使って、しかもこのふたつがそれぞれ違うことを指しているということを、中尾ハジメはしたいんです。したいんだけれども、どうも簡単になかなかできない。どうしても「プロパガンダ」ということと、「主張」という言葉であらわそうとしていることのあいだにはっきりとした差をつけたい。それで「ジャーナリズム」というのは、「プロパガンダ」ではなくて、「主張」であるというふうに言いたい。けれども、なかなかはっきりした輪郭で示すことができないという問題があります。

でも少しだけ手がかりはあって、例えば、このブルース・スミスが書いた文章のなかに、いくつか「そうだ、そうだ。これは主張と違うだろう」とようなところをみることができます。ただ、その「主張」という言葉には、当面カギ括弧をつけておかないと混乱をするかもしれない。カギ括弧つき「主張」。

配ってある「プロパガンダ」の項の一番最初のところを、みなさんはもうみたと思いますけれども、「象徴(シンボル)を使って、…」というのは、ちょっと難しいかもしれません。しかし、その次「…人々の信念、態度ないし行動を操作しようとする、多かれ少なかれ体系的な活動であり、宣伝ともいう。」と書かれている。「宣伝」という言葉は、みなさんの頭の中では商品を売るための活動だというふうに結びついちゃっているでしょうけれども、ここでは「宣伝」はそういうふうな狭い意味ではありません。

さて、「信念」という言葉がありますが、要するに「信じていること」、「信じること」を「信念」と言います、だよね。これは英語からの翻訳だという問題があるんですが、もう日本語でもこういう言葉を使って議論をすることになっています。「信念」と言います。それから「態度ないし行動」というようなことを言っていますが、「態度」というのは、「態度が悪い」と言うふうにいうときは、要するに振舞いがよろしくないという意味だよね。それはどういうことかというと、例えば、教室のなかで帽子を被っているのは態度が悪い、と言われちゃうよね。しかし、ここで書いてある「態度」というのは、教室で帽子を被っていることを意味しません。しかし、ここに書いてある「行動」のほうは、教室で帽子を被るようなことを意味します。ここに書いてある「態度」というのは、むしろ「傾向性」と言うかのな、それを意味しています。構えのことです。それで「構え」は表にあらわれちゃう。あらわれちゃったら、もう行動になっちゃう、というようなことです。だけど、あんまりそのことにこだわっていてもしょうがないから、少し先に進みたいと思います。

その次のパラグラフをみていただきますと、「プロパガンダが不用意な会話や思想の自由な交換と異なるのは、…」と書かれているよね。「不用意な会話」というのは、ふつうの会話のことを意味しています。ふつう、われわれが会話をするのは「不用意な会話」です。いいよね。「思想の自由な交換」というのは、これは例えば、議論をする場面を考えてもらったらいいんです。ところが、議論をしていれば自由であるかどうかということは、また別問題だね。「…それが慎重と操作とを重視する点にある」ということは、例えば、みなさんが読んだトルーマンの原爆を落しましたという声明文がありましたね。あれは事前にいろいろ意見を聞いて、イギリスの意見を聞いて、ここはこう書きなおしたとか、準備されているよね。慎重です。

「操作」というのはなんでしょう。「操作」というのは、人を動かすという意味だね。実際に行動させたり、あるいは人の態度を変えさせる。授業中におしゃべりをしている人を、どうしたら黙らせることができるか、ということを考えるのが操作かもしれないね。どうやったら操作できるかなんてことを考えなくても、例えば、黙らせるには「うるさい、黙れ」って言えばいいんだよね(笑い)。だけども、これは人の行動を変えることができるとしても、「操作」とは言いません。言わない。非常によくわかる例は、物を買わせるにはどうしたらいいか。コカコーラをたくさん買わせるようにするにはどうしたらいいか、ということを考えて、実際に人がコカコーラをたくさん買うようになれば、それは「操作」されたということになる。いいよね。

そうすると、「プロパガンダ」というのは、慎重に事実を選択するんだよね。慎重に選ぶということが大変重要です。その慎重に選ぶための選びかたは、中尾ハジメが主張したい「ジャーナリズム」と違って、どうしたら人びとを説得することができるか。説得というのは、説得してある行動に向かわせることができるか。ある行動というのは、その操作をする人の利害、操作をする人が自分に都合のいいように多くの人がなにかを信じたり、行動したりすること、ということになっているね。

それから、「論法」、これも選ばなくてはいけない。「不用意な会話」ではダメなんです。言葉を慎重に選び、事実も、なにを選んで伝えるか、なにを使うかということを慎重に考えないといけない。「象徴」と書いてあるけど、「象徴」もいろいろありますね。「象徴」というのは、例えばトルーマンの演説で使われている「象徴」はなんだっただろう、と考えてみるといいと思うんですが、「象徴」というのは言葉とはかぎりません。「象徴」については、725ページの最後のほうにスミスさんが書いてるね。左下のところに「象徴とは…」ではじまるパラグラフがあるでしょう。例も挙がっています。いいよね。

さあ、また725ページの最初にもどって、三つ目のパラグラフ、「プロパガンダを教育から分かつのは、…」とはじまっています。そのあと「…教育者は自分の述べることを信じさせると同時に、それに疑問をもたせる根拠を、また考えられるすべての行動方途の利点と不利点を示そうとする」と書いてあります。しかし、なかなかそんなことできないよね。これは難しいよね。難しいけれども、「教育」というのはある。その実際にある「教育」のなかから、「プロパガンダ」と「教育」を分かつのはなんだろう、ということを考えると、こういうことしかなくなってきそうですね。わかったかな?

この725ページの上段、「本項は以下、次の順序で記述する」という前のところまでわかった人? わからない人?(どちらにも手が挙がらないので)だめだ…。読んでこなかった人?(たくさん手が挙がったのをみて)しょうがないね…。じゃあ、ちょっと「プロパガンダ」と「教育」を考えよう。

「教育」というのは、ひとつはこういうことがあるよね。上の世代が下の世代に自分たちのやりかたを伝授する──伝える。これは「教育」だよね。その「教育」と「プロパガンダ」はどこが違うと言われたら、どういうことになるか。これは難しいな。難しいけれども、その難しい問題をちょっとおいておいて、さらに考えてください。上の世代が自分たちの社会のつくりかたとか、運営のしかた、あるいは何を大切にするべきか、あるいはこういうことはしてはいけません、というようなことを、つまり自分たちのやりかたを下の世代に伝えるということがあるよね。

さあ、それでここからが難しい問題になります。いま言った意味で、上の世代が下の世代に自分たちのやりかたを伝えるということはあるよね。あるけれども、うまくいっているかしら? ちょっとみなさんで考えてみてください。みなさんはどちらかと言うと、伝えられる側だよね。でもそろそろ自分たちの下の世代にやりかたを伝えなきゃいけないんだよね。いずれそうなりますよね。さて、そういうふうに世代間で、ものごとのやりかた、もう少し言えば、ものごとの考えかたを伝えるということが成り立っているでしょうか。これも難しい聞きかただよね。程度問題だろうとかいう言いかたもあるよね。これをよく考えてください。

そもそも、例えば、中尾ハジメの世代があるやりかたを持っているとして──でも同じ世代の人間をみたら、なんかあいつとこいつは違うなとかいろいろみなさんにはみえると思いますが、でもそれはおいておいて(笑い)──ある世代に共通のやりかたがあるよね、きっとね。それがみなさんの世代に伝授されないということは、教育の失敗だろうか、ということを考えてみてください。

これも難しいわな。教育の失敗だというふうに考えたいこともおそらくでてくるだろうし、いや、それは教育の失敗ではない、教育が成功しているからそれは伝わらなかったんだ、と言いたいこともでてくるはずです。それをみなさんは、自分のなかで考えてみないとだめなんだよ。そういうふうに考えはじめると、はじめて「教育」という言葉で何を指そうとしているか、ということがあるんだなということが、だんだんだんだんわかってくるんだよ。考えないとわかってこないんだよ。僕の顔ばっかり見ている人がいるけど、僕の顔を見ていてもわかってこない(笑い)。

いまの問題を考えるために、さらにもうひとつの考えるための手がかりを──これも困ったことに考えてもらわないといけないんですが──考えてみましょう。例えば、「教育」というのは何か憶えることだ、というふうに考えているよね。憶えることです。「憶えることではない」という人が、実は京都精華大学にはたくさんいて困るんですが(笑い)。例えば、中尾ハジメのような人間が「教育は憶えることと違うんだ。考えることだよ」とか言うわけ。これがね、ものすごく危ない。考えることだと言われると、「ああ、そうか。憶えることじゃないんだ、考えることだ」とみなさんは思って、それで誰かのように僕の顔ばかっりじーっと見てて、「俺は考えてんだ」という顔している。顔見てたら考えていることになるなら、「じゃあ、考えている中身を言いなさい」って言っても言えない。「じゃあ、何してるんだよ」って言ったら、「いや、考えてるんです」と答える。「何を考えているんだよ」と言ったら、「何を考えるか考えているんです」と、こういうことになっちゃう。もしそうだとしたら、「教育」という言葉をあてはめたくなくなるよね。これはそんな簡単な問題ではない。

そこで考えてほしいのはなにかというと──また考える、って言っているけど(笑い)──みなさんに毎回授業の最後に書いてもらうもののなかに、僕も言ったんだと思いますが、「伝言ゲーム」という言葉が出てくるんですよ。例えば、『重松日記』のようなずいぶん前に書かれたものをいまみなさんがみて(読んで)、そのときのことをまるで自分が体験したかのように──厳密には違うんだけれども──想像することができる。それがある意味で言うと不思議なことだし、それからなんかやっぱり大変なことだというふうに感じるということを書いている人がいるんです。それで、それと対比をするための例が出てくるんですよ。どういう例が書いてあるかいうと、「伝言ゲームでさえもちゃんと情報を伝えることができないのに、なぜこういう本ではそれができるのか」と書いてあるんです。「伝言ゲームで情報を伝えることができないのに」っていう言いかたが、中尾ハジメには奇妙で奇妙でしょうがないんですよ。わかった? わかる? 本当に(笑い)?

例えば、「教育」というのは「伝言ゲーム」のようなもので成り立っているというふうに思っている人がいるんじゃないだろうか。だとしたら、中尾ハジメとしては、まずこの人たちを爆破しないといけない(笑い)、と思っているんですが…。

中尾:「伝言ゲーム」って知ってるよね。本当に知ってる? ちょっと説明してごらん。

稲荷:最初に言ったことが、何人かあいだに挟んで正しく最後までちゃんと伝わるかということを競うゲームです。

中尾:うん。競うゲームですね。それで、これは必ず何人かいるんだよ。たくさん人がいて、最初の人が2番目の人にこそこそこそってなんか言うんだよね。その「こそこそこそ」と言うセリフはあらかじめ示されてるわけ。それで同じ内容の言葉が、違う列の先頭の人にも示されているわけ。ところが、ある列は一番最後の人が「明日はきっと晴れになるぞ」というふうに言う。その次の列の最後の人は「明日はきっと曇りになるぞ」と言うというふうに変わっていっちゃう。だから、列によって伝えられる内容が変わっていってしまうということを、「伝言ゲーム」って言うんだよね。あたりまえだよ、これ。あたりまえです。

ところが困ったことに、これがコミュニケーションのモデルだというふうに考えられている。コミュニケーションというのは正確にしなければいけないから、伝言ゲームなどでよい成績が出せるように、1番目の人と2番目の人、2番目と3番目、それぞれのあいだで正確に情報を伝える、それがコミュニケーションだというふうに思われている。わかった?

であるとすれば、さっきの「教育」のところにちょっと戻ってごらん。どういうふうになるかというと、上の世代のやりかたが下の世代にそのまま伝わるということが、よいコミュニケーションになるわけ。だけど、みなさん、それは「教育」というふうに呼びたくないでしょう。呼んでもいい? じゃあ、逆にお伺いしますが、上の世代のやりかたが下の世代に絶対に伝わらないのがいい教育ですか? そういうことでもないよね。だけど、伝言ゲームのようなものを情報の伝わりかたのモデルだ、というふうに頭のなかに考えている人は、いまみたいな結論にならなきゃいけなくなっちゃうんだよね。そうすると、コミュニケーションということは考えることが一切ない世界でしょ。だよね。

学生:つかめない…。

中尾:いいねえ。つかめない人、手挙げて。(何人かの手が挙がったのを見て)いいねえ。もっと挙げてくれたほうがいいんだけど(笑い)。

コミュニケーションというのは、いったいなんだろう。もう(授業の残り)時間があまりないからやめようかな(笑い)。(ホワイトボードに円を描いて、「A」と「B」と名前をつけて)これは個人だからね。Aという人が「自分がこういうことを考えているんだよ」ということをBという人にむかってしゃべるとするでしょう。あたりまえだよね。Bという人がAが言ったことをそのまま暗記する。これをコミュニケーションとは言いません。例えば、「プロパガンダ」と「教育」は違う、とAさんが言うんですよ。すると、Bさんが「プロパガンダ」は「教育」と違うと言うんですよ。そうすると、BさんはCさんに「プロパガンダ」は「教育」と違うと伝えることができる。これはコミュニケーションじゃない。

AさんがBさんに「プロパガンダ」は「教育」と違うと言ったら、「えっ、なんのこと言ってるの。全然わかんない」とBさんが思う。それは「教育」だよね。BさんがAさんに「わからないから教えてください」って言う。Aさんは「バカやろう」とか言うかもしれない(笑い)けれども、ここでやりとりが起こって、なるほど、「プロパガンダ」と「教育」はこういうふうに違うんだ、とBさんが理解をする。そうすると、理解したBさんはCさんにプロパガンダ」と「教育」が違うと言わずに、「<プロパガンダ>と<ジャーナリズム>は違うんだぞ、おまえ」(笑い)、と言うかもしれないですね、例えば。だからAさんが言った言葉をそのまま繰り返すということは、コミュニケーションじゃないんです。だからAさんが考えているその考えかたをBさんがわかって、そうするとBさんはAさんにそのことをもう一回言うことができるし、「そうかそうか。Aさん、あんたが考えていることは<教育>と<ジャーナリズム>ということはよく似ているということが言いたいのか」とか言うかもしれないですよね。

難しいけど、つまりAさんが言った言葉をただそのまま繰り返すというのはコミュニケーションじゃありません。それはわかるよね。Aさんの考えかたをBさんが結果的に否定するかもしれない。それはコミュニケーションだよね。それで最終的には殴り合いになるとか(笑い)。いや、なかなかAさんもいいところがあるよ、というふうに考えるかもしれない。お互いにやりとりをすることを指して、コミュニケーションと言うんだよね。そうじゃないと困るんですが、しかし「コミュニケーション」という言葉で言われていることは、そういう双方向的なやりとりとか、議論の発展を指さないことがよくあります。そこまで言ったらものすごくよくわかっちゃうよね。「教育」っていうのは、やりとりをして発展をするということであるのか、それとも上の世代のやりかたを下の世代がそのまま繰り返すことなのか。繰り返さないって、みなさん一所懸命思っているわけでしょう。上の世代が言うことをそのまま繰り返すのは「教育」ではないっていうふうに一所懸命思っているんだったら、そういう「教育」をみなさん自身がつくらないといけないんだよ。

だけど、いま現状はどうなっているかって言うと──ちょっと誇張して言いますけどね──結局みなさんは、いま中尾ハジメがしゃべっていることのどれくらいをそのままもう一回紙の上に書けるか。ほとんど書けないよね。不可能ですよ。だから、これ(この授業)は教育の失敗だ、とみなさんは思うかもしれない。でもそれでは僕の立場がない(笑い)。

だから繰り返しますが、「教育」というのは──とくに大学はそうですが──Aさんはたいてい、いままであんまり考えられていなかったことを言うんですよ。いままで世間に流通している考えかたでないことを言うんですよ。世間に流通している考えかたをそのまま繰り返して強化する──「強化」という言葉を使いますが──いままでの考えかたをただ「強化」するっていうのは、これは「プロパガンダ」と言います。これは強化するだけだから簡単なの。ものすごく簡単です。ほとんどそれはAさんも考える必要がないし、Bさんも考える必要がない。ただ繰り返して言えばいい、ということだよね。

それで、さっきのところへ戻るけれども、「伝言ゲーム」はおもしろい。なぜおもしろいか。人が言ったとおりのことを自分が再生するっていう訓練をわれわれは受けていないから、そんなもん(中身が)変わるに決まっているんですよ。だからおもしろいんですよ。人が言ったとおりのことをそのまま言うように、われわれは訓練を受けていない。訓練を受ければ、これはできます。だけど、それは「伝言ゲーム」であって、「伝言ゲーム」の技術がどれだけ進歩しても教育にはならない。わかったよね。

さあ、それで考えていくと、もしそういうことが「教育」でないとしたら、つまり「伝言ゲーム」が「教育」でないとしたら、じゃあ「教育」ってなんだ、ということになりますね。もう(残り)時間がないから言いませんが…(笑い)。

最低だよな、みんな。先週(資料を)配って読んできてくれって言ったのに、読んでない。だめだよ。来週は『苦海浄土』を読んでくるんだよ。来週、言いたいことはなにかって言うとね、事実の重層性ということとか、持続時間性。(1959年の)朝日新聞の11月3日の記事からは、やっぱりこういうもの──事実の重層性や持続時間性──は見えてこない。それは新聞記事だから見えてこないということだけではなくて、やっぱり新聞の読者であるわれわれがなんか変なものを持っているんだね。きっとね。変なもの・・・(笑い)。

これで今日の授業はおしまいです。

授業日:2003.07.01;ウェブ公開:2003.08.24:更新:2003.08.24;
協力:川畑望美