英語を学ぶということは

2003年2月11日 第2回スクーリングより、京都精華大学 L-201教室

AOスクーリング「英語を学ぶということは」:もくじ

はじめに──私たちはどういう時代に生きているのか

『アンダーグラウンド』村上春樹という人の名前を聞いたことがありますか? 聞いたことがある人は手を挙げてみて下さい。(参加者挙手)すごいすごい、結構いるね。『アンダーグラウンド』という本を村上春樹が書いていますが、読んだことがある人はいるかな?(参加者挙手)おお、一名だけですか。

『アンダーグラウンド』に書かれていることを少し紹介します。サリン事件というのがあったことをご存知ですか? 知っている人は手を挙げてくれる? (参加者挙手)はいはい、みんな知っているようだね。1995年3月のことでしたが、テロがありました。9.11 よりも6年前に、東京の中心部を走っている地下鉄の中で毒ガスが発生したテロですね。「BC兵器」という言葉があります。biological つまり「生物学的」という言葉の「B」、それから、化学物質のことを chemical といいますが、その「C」をとって「BC兵器」といいます。「B」の方は例えばいろいろな細菌ですが、この“サリン事件”は「C」の方です。そのとき被害を受けて生き残った人たちや、あるいは死んでしまった人の家族を探し出して、インタビューしたものが、この『アンダーグラウンド』という本になっています。

この後もうひとつ、『約束された場所で』という本も出版されています。しばらく売り切れでしたが、これを読んだことがある人はいるかな? ……いない。(半分読んだという参加者あり)半分読んだ? すごい本ですよ。『約束された場所で』は、被害者ではなくて、オウム真理教という団体に属していた人たちがこの地下鉄サリン事件をどう捉えていたかということを、『アンダーグラウンド』同様、インタビューをして本にしています。

『アンダーグラウンド』の中には、想像したらわかるように、自分の職場に行こうと通勤時間の地下鉄に乗っていた人たちが、9.11 と同じですが、まったく予想していなかったことに出会います。それが、どういう体験だったかということが集められています。分厚い本ですから、たくさんの人たちが登場して、僕のように歳をとった人間もいれば、皆さんのように若い人たち、中学生ぐらいの人もいたと思います。どの人にも日常の通勤なんです。それが突然、毒ガスに襲われる。中には最初から、これはサリンであると、わかった人も少数だけどいました。しかし、ほとんどの人は何だかわからない。そして、地下鉄の車掌も駅員も何だかわからない。警察もわからない。政府もあまりよくわかっていなかったようです。

この日常というのは、よくよく考えてみたら、お互いに無関係な人間がときにはギュウギュウ詰めになって地下鉄に乗って、自分が意図してもいないのに「おまえは痴漢だ」などと思われるような状況で通勤をしているわけです。本当に、お互いに関係のないものすごい数の人間が、東京の都心を目指して通勤しているのです。

ある人は、自分が出会った状況が何だかよくわからなくて、とにかく歩けるのだから歩いて外に出た。そうしたら、なんだか外が暗く見えたそうです。今日はものすごく天気がいいはずなんだけれども、ものすごく暗いのがおかしい。それでも何だかわからないわけです。だというのに、日常の習慣というべきか、仕方がないから会社に行こうと会社に行くわけです。そんな人が山ほどいたようです。会社に向かいながら、フラフラしてだんだん吐き気がしてくる、そしてついに動けなくなって道端に倒れてしまう、という人が何人もいます。

地下鉄のどの駅で下りるかということも様々で、みんながみんな霞ヶ関あたりの駅で降りて、その外で倒れていたわけではなく、中には渋谷まで行った人も、上野の方までいってしまった人もいるのです。ふだんなら渋谷のあたりはそんな「変な人」はあまりいません。自分の体調が少しおかしいと思って、地下鉄に一所懸命乗って我慢して地上に出てきた人が、急激におかしくなって倒れてしまう。普通、日常は、倒れないですよね。倒れてしまうと、周りを通る人たちは倒れた人間をどういうふうに見るかというと、その人たちには「関係ない」のです。サリンだということがわかったとしても、おそらくそうであっただろうと僕は思います。人が倒れていても関係ないのです。そういった世界が描かれております。

この「関係ない」というのは恐ろしいものですね。

この教室は300人が入れるようにできています。今日は150人くらいが入っているけれども、もう少し詰めれば300人入るはずです。けれども、見事に教壇の前には誰もいない(笑)。皆さんはこれが当たり前だと思っているかもしれませんが、この「日常」は変えてほしい。耐えられない。

あるとき、ぼくは自転車に乗っていてスピードを出しすぎ、前を走っていた自転車にぶつからないように急ブレーキをかけたのですが、慣性の法則で体だけ前の方に飛んでいって、見事に頭から墜落したことがあるのです。そのときは、意識はあるけれども立てなくなった。京都というのは街ですから、いろんな人が見ています。……集まってきたねえ。こっちはちゃんと目を開いて見ていますから、人垣が見えるわけです。見事に半径3mの円ができて、みんな話もしないでただひたすら黙々と見ているんだね。たぶん、気持ち悪いと思ったんだろうね(一同笑い)。ヒゲをはやした男が頭から血を流して倒れている(一同笑い)。……本当に無関係なんです。関係しようとしない。

地下鉄サリン事件のとき、実は犠牲者になった人たちの中やあるいは駅員とか、これはただ事ではないと一所懸命何かをした人たちもたくさんいます。日常が壊れたときには、そういったふうに、人間の共同体的精神というものが発揮されるらしい。阪神大震災のときにもそうだったと思います。特に若い人たちが、誰に指揮されるわけでもなく、人を助けることを一所懸命にした。それはやはりお役所にはできない。

というわけで、我々の中にも、共同体的精神というものが残っていると思います。思いますが、大学の教室でこういうことが起こるのが(前列に人がいないことを指して)僕はもう耐えられないのです。関係ないのかよ……。それで、いささか無理やりではあるけれども、後ろから5列までに座っている人たちは全員立ち上がって、前の方に来て座って下さい(ざわめき。「後ろはほとんど学生スタッフなんですけど」の声あり)。つべこべ言うな!(一同笑い)

森鴎外『ヰタ・セクスアリス』の英語版を読む

『ヰタ・セクスアリス』始めるよ。まず、「ヰタ・セクスアリス」(森鴎外作の英語訳版)を見て下さい。題字はカタカナですが、他のところは皆さんがご存知のアルファベットで書いてありますね。ちょっと、読んでみましょう。

Reluctantly I sat down on the veranda. Mrs. Bito again came out slowly, almost indolently, and raising one knee sat down beside me,……

みんな読めてる? 追いかけられてる? ここからはよく読もうね。

her body……

わ! わ、と思うよね、her body だって。

her body almost nestling against mine.

nestlingはよくわからないけれど、

her body almost nestling against mine.

……なんだか、意味がわかりたくなるよね。その次を読んでみよう。

I could smell her sweat ,……

ん? なんだ、smell……聞いたことあるなあ。……匂うんだよね。her は彼女だよね。sweat はわからないかなあ、でも何か匂うんだよね。これは意味をわかりたいよね。それから、

her face powder, the oil she used on her hair. I moved a little to the side.

どっちの side か明確じゃないね。……どうやら二人並んで座っている。

I moved a little to the side.

の to the side.というのはどうやら彼女の方に向かってではなくて、反対側に逃げたのかな。

She smiled, though I didn’t know why.

……彼女は笑った。ここで皆さんは、この彼女という人は、I つまり私という人とどういう関係であるかを想像しなければならない。けれども、her body とか smell her sweat とか her face powder とかいろいろ書いてあると、これは読みたいよね(一同笑い)。実は、Mrs. Bito さんは I とはだいぶ年齢が違うのです。I の方はまだ13歳くらいかな。

さてその後、

I’ve no idea why you’re so kind as to play so often with a boy like Eiichi.

エイイチのような子──少年──とそんなにしょっちゅう遊んでくれる。それほどあなたはやさしい。なぜエイイチにやさしくしくれるの?

……I’ve never seen such an unsociable child.

この unsociable child は誰を指しているかというと、自分の息子のことですね。あの子は、人づき合いが悪い。あんな子は見たことがない、とおっしゃっています。実は、Mrs. Bito は継母なんです。それはまあいいとして、次を読み進めてみましょう。

She had ridiculously large eyes……

ridiculously というのは、「おかしい・変だ・馬鹿げている」という意味ですが、それほど大きな目をしていて、

and a ridiculously large nose……

鼻も大きく、

and mouth.

口も大きい。

I even felt her mouth……

え!? ああよかった、さわってなかったね。この felt というのは、現在形は feel と言いますが、皆さん知っているよね「感じる」という意味です。だけども、feel というのは「さわって感じる」という場合もあります。僕は、“I even felt her mouth……”とここまで読んで、口にさわっちゃったのかと思ったのですが、そうでないみたい。では、ここの feel は何かというと……。

……her mouth was square-shaped.

「彼女の口は四角い形をした口であると感じさえした」という訳になります。けれども、今僕の訳した文章は、日本語としては恥ずかしいし、変なものですね。だから、皆さんが日本語にするときには、ここは工夫をするべきところですね。その次。

I like Eiichi very much.

この文章は、少年の方が話しているのです。なぜそんなにエイイチに優しくしてくれるのか、というおばさんの言葉があって、その後、このおばさんの顔がどんな顔であるかを説明した文章が挿入されていましたが、この文章は、「どうしてそんなに優しくしてくれるの」という言葉に対する反応です。エイイチが好きだからだ、という感じだね。そうしたらおばさんが、

You don’t like me?

……私のことは嫌い? と言います(笑)。なんかねえ、怖いねえ。

She almost seemed to press her cheek against mine as she peered at me from the side.

ちょっと怖くなってきたね。almost seemed とは「ほとんどそう思える・ほとんどそう見えた」という意味です。to press……。 press というのは、出版のことをプレスと言いますが、あるいは鉄工所でプレスという金属を押しつぶす機械がありますが、押しつけるという意味です。her cheek……。 cheekって知ってるよね、チークダンスのチークだよ。 against mine だから、僕のほっぺたに自分のほっぺたを押しつけるように思えた。

……as she peered at me from the side.

from the sideだから、横から僕を覗き込みながら、というような感じの意味合いだね。怖いですねえ。で、後はもう読みません(笑)。

ちょっとページをめくって見て下さい。森鴎外という人の「ヰタ・セクスアリス」と言う作品の原文ですね。47ページの一番終わりのとこを見てみてください。「裔一の母親は継母である」と書いてあるよね。今皆さんが読んだ英文はどこであったかというと、49ページの中ほどに、「僕はしぶしぶ縁側に腰を掛けた」とあります。「縁側」と言うのが veranda になっていたね。「奥さんは不精らしくまた少しいざり出て、……」 次の文の「片ひざ立てて……」 ほーらほら、来た来た(笑)「僕のそばへ、からだがひっつくようにすわった」ここが、nestling というところだね。「汗とお白いと髪の油とのにおいがする」これは、こんなに短い文章ですが、英文を比べて見てみると、何か変な感じがする。

I could smell her sweat, her face powder, the oil she used on her hair.

特に、最後の「髪の油」が長く訳してあるね。髪の油だから hair oil かとも思うけれども、翻訳者は“the oil she used on her hair.”というふうに訳してある。ということは、こっちの方が普通の表現なんだとか、文章のリズムが自然だということだね。

このことからもわかるように、日本語の単語一つと英語の単語一つが対応するという風に考えないほうがいい。どうやら、そういうものではないらしいということがわかる。

「僕は少しわきへ退いた。奥さんはなぜだか笑った」ここの「奥さんはなぜだか笑った」というのは英語にはできないんだよ。訳した人はこれで最高だと思ったかも。この英語の「ヰタ・セクスアリス」は、ものすごく上手く翻訳したのだけれど……。ここの英語はどうなっていたかというと

She smiled, though I didn’t know why.

なんか違うよね。「なぜだか笑った」が、「私はなぜだかわからないけれども、彼女は笑った」という英文になっているわけです。

英語は科目ではなく、言語であるということ

皆さんにとって英語は、6年間勉強したけれども、ただ嫌いになっただけでどうにもならない、という類のものだろうと思います。学校で身につくようなものは、英語に限らず何もない。ほんとに無いですよ。ここ京都精華大学は学校ではありません。ここは勉強するところです。学校って、絶対に勉強しない所だね。そして、英語は科目じゃない。人が使っている言葉であって、科目ではない。テストは時々やらなければ仕方がないものだけれども──どれぐらい出来るようになったかを試すことは必要だけれども──テストのために英語を勉強して、英語が出来るようになるわけがない。絶対に出来ません。

しかし基本的に6年間も勉強していれば、確信犯でない限り、英語は少しわかっちゃっているものです。中には確信犯がいて──この大学に入ってくる人の中には時たまそういった変り種がいますけれども──どれだけすごいかというと、アルファベットが読めない。読みたくなかった、嫌だったという人がいます。なぜアルファベットを読まなくてはいけないのか必然性がわからない。きっと、その人が住んでいたところには街の中にもアルファベットがなかったんだろうね。使わないから、意味がなかったんでしょう。ところが、困ったことに英語はアルファベットで書かれているので……。中学生になるとアルファベットを教えられるわけなのですが、その人はそれを拒否してまったく身につけなかった。ものすごい奴だね、偉い。

ですが、この人は何か理由があったのでしょうが、アルファベットを読みたいから教えてくれと、ある日ぼくのところに現われた。それからアルファベットの読み方を教えたら、その人は、街の看板にいろいろ書いてあるアルファベットがローマ字風に読めるようになった。少し世界が広がったわけだね。その人がしたかったことはそれだけではなく、英語が読めるようになりたかった。そのためにはどうしたらいいのか。普通の考えは、中学と高校で英語を勉強したはずの人が大学に来てはじめて英語を勉強するなんて、もはや手遅れです、あきらめなさい、という風になるのでしょう。だけれども、皆さんの中に自分から勉強したことが一回もなかったという人がいれば、その人たちは大学に来てはじめて英語を勉強することは決して手遅れではありません。英語でなくても、他の外国語でも、まったく手遅れではない。

皆さんは、卒業するまでに必ず最低ひとつの外国語を駆使できるようになって卒業しなければならない。そうでないと、1年間に百万も払う意味がない。もしそれが自分に関係ないと言うのであれば、すでに話したように前のほうに座る必要がない。そして、後ろに座る必要もない。大学にこなければいい。入学しないといい。わかるかな。そうされると、ぼくはものすごく困る。けれども、そうしてほしいんだよね。

英語の勉強をすることは、とにかく辞書を引くことだということ

さて、話をもとに戻しましょう。この話は実は英語の勉強の仕方についてなんだね。その人がどうやって英語の勉強をしたかというと、毎週のようにぼくの研究室に来て本を読んでいました。どうやって読んだのか。辞書を引きながら読んだんだね。高校の3年間、つまらなかったかもしれないけれども、英語の文章と日本語の文章は言葉の順番が違うんだということを勉強したでしょう。それはみんなわかっていると思います。そうしたら、あとは、そこに書いてある言葉が日本語にしたらどういう言葉になりうるかを辞書で調べる。この方法しかない。

それで、皆さん、絶対にだまされたら駄目だよ。簡単に英語は覚えられます──いろいろな教材を買わされて、これをただ聞いていれば英語が身につくとか、そういうことは絶対にあり得ない。そんなことでできるのは、せいぜい「赤ちゃん言葉」くらいしかないです。nestling なんて単語は使えない。だけどみんなはもう nestling を覚えちゃったね。

語彙というものがあるわけだけれど、皆さんの場合は辞書を引く以外にこれを獲得する方法はほとんどないです。本を読む。それも英語のとびきり難しい本を読んで、読破する。そのための時間が必要です。残念ながら1コマ90分の英語授業の中でこれをすることは出来ない。しかし、皆さんが90分の英語授業の前に180分くらい辞書を使って格闘して、それから英語授業に出てきたら、ものすごく効果があります。

ところが、本来そういったものであったはずの英語授業の時間が、中学、高校とくだらないことを我慢して、あるいは我慢もせずにまったく空っぽになって無駄に時間を過ごした皆さんの悪しき習慣と、安易に走るというまったく情けない教員の悪しき傾向とが合体をして、なんにもならない、ということが何年も続いてきました。2003年の4月からはこれを変えてほしい。変えることができるのは、皆さんだけです。××な教員××には変えられるわけがない。さて、というわけで次のプリントを見てみよう(笑)。

Charles Bukowski, The Captain is Out to Lunch and the Sailors Have Taken Over the Ship を読む

次は、『死をポケットに入れて』からです。日本語と英語のプリントがあるけれども、英語のほうから見なければ駄目です。 The Captain is Out to Lunch and the Sailors Have Taken Over the Ship ──3分間時間をとるので、皆さん辞書を引いてこの題名がどういうことを意味するのか解読しなさい。それから、解読したことをノートに書くように。辞書を引かないでわかる人がいても不思議ではないけれども、辞書を引いて調べればわかる。今皆さんがやっていることは非常に重要なことです。さきほどにも言いましたが、日本語の単語と英語の単語が一対一で対応するということはまずない。ないけれども、言葉なんだよね。

さて、captain とはなんだろう。captain というのはバスケットボールのキャプテンのことなんだよ? だろうね、そうに違いない。けれどもこの挿絵を見たら、船が描いてある。ということは……。船の captain はなんと言うのだろう。この前、アメリカの潜水艦でワルド艦長がいたね。ところが、アナウンサーが馬鹿でね、日本語には「艦長」という言葉があるのに、「元船長」って言ってたんだ。……is out ってなんだ? ……to lunch の lunch ってなんだ? これは、ランチだよ、ランチボックスとか……。お昼のことだね。and the sailors…… これはもうわかったね。……have taken over the ship. have は知っているし、taken は take の過去分詞形だと知っているけれども、そうしたら ……over the ship ってなんだろう?

この文章を調べるのに、今皆さんは3分かかっています。4分かかっても5分かかってもかまわない、それでもこれはこういうことを意味するのだということを、外れるかもしれないけれども、解読するんです。外国語は暗号です。暗号解読のために、皆さんは辞書を使います。使うけれども、解読の方針を間違ったら外れることもあります。でもそれもやむを得ない。それでも、当たったら、いいねえ。

そして、それを何回か積み重ねると、こういうことを言おうとしている文章なのだということが、最初の一文を読んだだけでわかるようになってくる。しかし、最初の一文を読んだだけでわかるということは、日本語の場合でもそんなにあることではない。それでも、日本語だったらわからなくても読むでしょう。英語も、そうすればわかるようになるよ。だから、最初の一文を、自分の仮説に従って解読を試みたけれど、上手くいかなかったという場合でも、次の一文を読むと、その方針をどのように変えたらいいかということがわかるようになるかもしれない。また、それでもわからないかもしれない。そのときは、またさらにその次を読む。それ以外に方法はないんです。これを積み重ねていると、英語が使えるようになるんだよ。

47ページの頭に書いてある「10/14/91」これは何語だろう。皆さんお気づきだと思いますが、これは英語ではない、けれども英語だ。「10月14日 」「1991年」を表しています。そして、この横の「12:47 PM」。これは何語だよ。これは英語だけど英語でもないよ。これはね、「お昼の12時を47分回ったところだよ」という意味だね。ところで、これを書いている人は、かなりのアルコール中毒です。ほんとうに困った人です。次のページをめくってみれば、この作者のおじさんがどんな顔をしていたかが載っていますが、ものすごいあばた面です。彼は Charles Bukowski という人なんですが、この作品を書いているとき、おそらく71歳か72歳なんです。もうかなりの年齢の、不良のじじいが書いています。人間は生きなければいけないから、ときには不良になってでも生きなければならない。この人はものすごい人ですね。

さて、読み進めてみましょう。“Of course,……”この言葉は何だか知っていますよね。知らない人は正直に手を挙げて下さい。(参加者の挙手)こういうときにも辞書を引くこと、course で載っているでしょう。辞書で引いたことを、いつもは書かなくてもいいけれども、今日は書いておくといいね。それで、他の人たちは、遠慮をしないで、どんどん読み進んでいい。辞書を引きながら、何が書いてあるのか仮説を立てて解読してごらん。

実は、この話は非常に難しいです。なにが難しいかというと、言葉が難しいわけではない。

皆さんの中には英語を話せるようになりたいと思う人がたくさんいるみたいです。あるいは、英語を話している内容をわかるようになりたいと思っている人が、たくさんいるようです。だけれども、それは非常に難しい。例えば、自分たちが日頃話していることを、自分たちの仲間でない人が聞いて、何を話しているかわかると思いますか。それはわからないですよ。まったくわからないと言ってもいい。あるいは、ちょうどこの作中に出てくる内容ですが、競馬のことについて知っている人は手を挙げて下さい。(挙手少数) 知らない人。(挙手多数) では、ここにいる皆さんはほとんど、ブコウスキーがここに書いたことは見当もつかないでしょう。自分が住んでいる世界、仲間、その中で語られていることを、よその人が聞いて、即座に理解できるはずがない。それはたとえ日本語であってもそうです。それと同じことを皆さんが、英語でやりたいと、もし考えているのであったら、それは馬鹿げています。不可能です。不可能でもないというのが、実はこの例なんですが(笑)。

ブコウスキーの文章は、大学で読むのにはふさわしくない文章です。不適切な文章です。ここでいう「大学」というのは京都精華大学じゃなく、他の大学のことです。さきほど読んでもらった森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」は昔発禁になりました──今はもう発禁ではないのですが。こんな面白い本は、中学生に読ませなくては駄目だと思う。だけど中学校ではこれは不適切な読み物です。読ませないと言ったら憲法違反だという批判を受けるので誰も言わないけれども、中学校の先生がこれを教材にするということは不適切なことだと考えられています。ということと同様に、ブコウスキーのこの文章は、英語をこれから勉強しようという人にこんなものを読ませるのはいけませんと言われてしまうようなものです。

たしかに、皆さんがこういう水準を目指すことは、さきほど言ったような事情で難しい。しかし、英語を勉強しようと思っているのなら、こんなものに驚いていたらいけない。辞書を引き引き空想をたくましくして読むしかないのです。どういう内容かということは、中川五郎の訳のプリントがあるので、それを見てみてください。それで、自分が考えていた内容と合っているか見てみること。

『アンダーグラウンド』の日本語から Underground の英語へ

さて、最後に本番に入ります。辞書の引き方というのは、ものすごく原始的です。動詞の場合は過去形になっていたり、過去分詞形になっていることがあり、困ったことに原形がわからないと辞書で引くことが難しいと言う問題があります。けれども、不規則変化をするような動詞はそんなにたくさんはありません。ほとんどの動詞は極めて原始的に ed をつけて過去形あるいは過去分詞形になっています。であるので、辞書を引くのに皆さんが迷う部分はほとんど何もないと言ってもいい。問題は、一つの項目(言葉)を調べた時に、その一つの言葉について辞書には山ほどいろいろな違う種類のことが書いてある。そして、それを読まなければ辞書を引いたことにならない、それが問題なのです。

言ってみれば、英語を勉強すること──他の外国語でもそうですが、これはたいへんな挑戦だと思ってやるしかない。挑戦することなんだよね。科目とは違います。学科目では決してありません。挑戦しなくてはいけない。最初はわからないのが当たり前です。──京都精華大学は、少し準備がなくて、皆さんに英語の事前学習用の問題のようなものを送りつけましたが、あんなものを目標にしたら英語は習得できない。もっと高いところを目指さなくてはいけない。

もっと高いところとは何か。ひとつは、ブコウスキーのような不良のおじいさんの文章を解読できること──しかし、ものすごく質は高いですが。それから、もうひとつは、日本の我々が抱えている問題、とりわけ皆さんの世代が抱えている問題を、世界の人に向かって日本語でいくら言っても伝わりません。それを伝えるためには、例えば英語でやらなくてはいけない。さて、それがどうしたらできるか。英作文をするしかない。英語で書くしかない。だから英語で書く。自分自身が問題をきれいな形で整理して、まとまりを持って捉えられている場合には、わき目もふらずにその自分の考えを英語にして書きなさい。辞書を使ったらできる。ですが、辞書を使ってもたくさん間違うに違いない。それは、間違ってもかまわない。やればできるので、とにかくやってみること。

『約束された場所で』皆さんに配布されたプリントは、村上春樹の『約束された場所で』からの抜粋ですが、日本語のところをちょっとみてごらん。

一番最初に、村上春樹がインタビューをした波村さんという人を紹介している文章が1ページとちょっと載っているよね。そのあと少しスペースが空いていますが、次のページから波村さんのインタビューが、多少は編集してありますが、ほとんど彼がしゃべったまま載せられている。 その最初の一文を読んだときに、これは何が書いてあるかなということがわかった人もいるでしょう。あるいはわからなかった人もいるかもしれない。これと同じことが英語を読むときにも起こるんだよね。

さあ、今度は英語の方をちょっとみてごらん。実は、この村上春樹の『アンダーグラウンド』を翻訳する作業はいささか急いでやった形跡があります。かなりはしょっている部分もある。でもさっき見た日本語のものと引き比べてごらん。どういうふうに(日本語が英語に)変換されていくのか。繰り返して言いますが、ひとつの日本語の単語にひとつの英語の単語が対応したりということには絶対になっていない。こんなことだよね。しかし、翻訳をするときには、ひとつの日本語の単語に(あるいは英語の単語に)ひとつの英語の単語(あるいは日本語の単語)を対応させるということは、必要かもしれません。

この Namimura さんという人はオウムに入ったんだね。何年生まれって書いてある。一番最初のページのところに Namimura さんの名前が書いてあって、そこに括弧がついているでしょう。(b. 1960)って書いてあるよね。さあ、この b はなんの b だろう。大学生の諸君、この b はなんの b だ?

松田: birth。

松井: born。

中尾: うん。どっちでもいいよね(笑い)。つまりその年に生まれたということだね。

おもしろいよね。 born って書いてあって、そのあと前置詞の in がなくてもかまわないんだよね。日本の英語の先生たちの中には困った人たちがたくさんいて、英語というのは文法でできてますと言ったりする(笑い)。例えば、“He is born.”というのは、be 動詞があって、その次に born がくる。その次に何年というのがあるとしたら、in があって、その次に nineteen-sixty (1960) とかいうふうに必ず言わなければいけないと、そういう困ったことを言ったりする。でもね、ふつう必ずそういうふうにみんながしゃべっているわけではない。もちろんそうふうにしゃべる人もいるよ。そういうふうにしゃべったほうがいいかもしれない。だけれども、みなさんがなによりも追求しなければいけないことは何かと言うと、とにかく解読しようとすることです。文法をいくら知っていても解読することはできない。……本当は解読できるんだけれど、ちょっといまはぼくは極端なことを言っています。解読しようという精神がなかったら、解読はできない。その精神さえあれば、挑戦しようと思って、これを絶対読んでやると思って読めば、読める。人間っていうのはそういうふうにできているんだよ。そうでなかったら、どうやって外国で育った人たちとやりとりをすることができるだろう。できないよ。永遠に不可能です。それに、ぼくたちには辞書があるから、とにかくみなさん辞書を使うことです。

さっきの(b. 1960)の b はなんだという質問に答えた学生にしても、これを文法的にまちがいないと知っていて答えたわけじゃないんだよね。きっとそうに違いないと思っていたんだよね。だから、ということはどういうことかと言うと、わからないことはきっとそうに違いないと思ってあたるしかないんだよ。そして、暗号解読のための武器、つまり辞書をみなさんは持っている。この辞書を駆使してください。

ふつうは高校生だと3,000語とか4,000語とか英語の単語をマスターしていることになっている。でもそんなことはまずありえない。本当にないです。1,000語もマスターしていないかもしれない。ところが、例えばみなさんが今日少し読んでみたような本を読もうと思ったとしましょう。村上春樹がこの本に書いているようなことを、イギリスの人、あるいはマレーシアの人、オーストラリアの人が書いていたとして、それを読もうと思ったら、4,000語とか5,000語では絶対に読めない。10,000語必要です。もっと必要かもしれない。そうしたら、辞書なしに読めるわけないよ。不可能ですよ。

もう一度英語で書いてある方を見てごらん。おそらくみなさんだったら、1行に1回、あるいは2回ずつ辞書を引かないと読めないです。でも、そうでもしてとにかく読んでいけば、「ああ、読めた」ということになるんだよね。わかった? わかった人手を挙げて。(多くの手が挙がるが、挙げていない人もちらほらいる)わからない人手を挙げて。(手を挙げた数人を見て)よし、残れ(笑い)。

とにかく挑戦してください。科目だと思うな。英語は科目じゃない。言葉です。エイリアンの言葉です。そして暗号解読のための辞書というものがある。これを使っていないやつは、英語を勉強していないやつです。では、辞書をいつ使うか。大学の授業のなかで使うものではありません。自分で使うものです。

健闘を祈ります。

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