大学は誰がつくっているのか

『京都精華大学教育後援会ニュース』No.28, 2004年3月

京都精華大学は、教職員と学生とが共に創りあげる大学だと言いつづけてきました。入学してきた学生諸君が、自分たちも一緒になって、日々大学を創りだしているのだという実感をもつまでには、少し時間がかかるかもしれません。それでも、卒業制作や卒業論文などに取りくむ段階までには、その最終的なチャレンジに至るすべての過程が──それは教員との格闘のようであったり息のあった協働作業のようであったりするかもしれませんが──大学教育の内実を創りだすものだったことを理解するはずです。教育が実現するのは人間と人間のあいだにであり、その意味で大学は学生が通過するだけの無機的な箱のようなものではありません。

京都精華大学はこのことを、教職員と学生とが創りだす一つの有機的社会という言葉で表し、その人間的交流を通じて教育を行うのだと謳ってきました。これは必ずしも現代の社会に一般的な大学像ではないようですが、この大学で働く私たちはそのように確信し、その実現を自分たちの使命だと考えてきました。

しかし、そのように考えれば、じつは、いつもは目の前には見えない人びとが一人ひとりの学生の背後には存在し、その多くの人びともまたこの大学を日々創りだすことに大きな力となっていることに気づかないわけにはいきません。その意味では、「教職員と学生とが共に創りあげる大学」だけでは、この大学のほんとうの姿が充分に表現されているとは到底言えません。誤解を恐れずに言えば、私たちの京都精華大学は、開学以来二万人を超える卒業生と、その大学生活を可能にしようと学費を工面した家族の人びとによってこそ創られてきたのです。そして今も、三千八百人の在学生と家族の人びとによって、さらに明日へと存続するべく、日々創られていると言わなければなりません。

キャンパスの施設設備はもちろんのこと、私たち教職員と学生とが実現する教育は、そのような力に支えられてはじめて成りたっていることを、改めて銘記したいと思います。とりわけ、大学にとって苦難の時代が現実となって迫ってきた今、この大学の教育に大きな期待をもち見守る教育後援会の皆さん一人ひとりの眼差しに、文字どおり、後押しされていることを心強く思うとともに、責任の大きさを感じないわけにはいきません。そして、教育後援会の活動に心から感謝いたします。