第7回 戦略爆撃の思想

重慶上空より巨弾を浴びせる海軍爆撃機(共同通信社提供)

大きな石像の下にうずくまり、片手で子供を抱き、もう一方の手を木の枝にかけて不安定な姿勢を正しながら無事を念じているその時、頭上に爆発音が響き、身体を持ち上げられるような衝撃を感じて、鄭素清は、思わず掴んでいた枝から手を放した。耳が聴こえず、しばらく無音の世界になった。目を上げると、孫中山先生の頭がない。素清は初めて近くに爆弾が落ちたのを合点した。よく見回してみて、木の上には人の腕や足がバラバラに引っかかているのに気づき、恐ろしくなった。地面にはもっと多くの死体が散乱している。聴覚が戻ってくるにつれて公園内に満ちている悲鳴や坤き声も耳に入ってきた。血の池を人がのたうっているようだった。一刻も早くここを動かなければ、と焦った。火の手が見える。生き残った者はてんでに新しい逃げ場を求めて走った。その中には不自由な歩行しかできない纏足の鄒華清もいるはずだった。ようやく鄭素清は手に激痛を覚え、自分の右手人差し指が根元近くからなくなっていることを知った。

前田哲男『戦略爆撃の思想(上)』(社会思想社、現代教養文庫、1997)より
写真:重慶上空より巨弾を浴びせる海軍爆撃機(共同通信社提供)、上掲書より


■ちょっと先週の続き

五月祭酔いのために無残であった第7回目の授業

それでははじめますが、先週の続きです。これは、アンソニー・ケイヴ・ブラウンという人が書いた本のリストですが、そのリストの下から2番目あたりに、Oil, God and Gold: The Story of Aramco and the Saudi Kingsという1999年出版の本があります。その書評、というより紹介ですが、それがamazonに載っていたので、資料に入れておいてください。アンソニー・ケイヴ・ブラウンは、1991年の湾岸戦争をAramco Warと呼ぶのだ、というようなことが書かれている。湾岸戦争というのはアメリカとイラクの戦争であったかのように思っているかも知れないけども、実はアラムコをめぐる戦争なんだよということが書いてあるのでしょう。2003年にはSecret Societyという本を計画しているとあります。

その次の資料を見てください。向かって右の写真がジョン・ハーシーだね。おそろしく寒いところにいたのですかね、1945年以前の写真だと思います。どこだかはよくわかりませんが、従軍記者というのはこういう感じかな。それから、左の方は、ウィルフレット・バーチェットだね。おそらく1941年か、42年か、43年か、それくらいのときのもの。ジョン・ハーシーは1914生まれ。バーチェットは1911年生まれで、ほとんど同じような年格好だね。ふたりとも従軍記者だったんだね。

今日多少そのことに触れるかもしれませんが、バーチェットは1937年ぐらいに、チュンキンというところに行っています。チュンキンは重慶ですが、日本と戦争をする中国の国民政府がそこに政権を移した、だから一時期中国の首都だったところですね。そこは、連合軍側のジャーナリストが集まるところだったんですね。1937年ぐらいだと思いますが、バーチェットはそこに行った。それは重慶爆撃の前だったと思います。ハーシーも重慶に行った。この人が行ったのは、爆撃の後でしょう。39年に重慶に行っています。ふたりとも20代で従軍記者になったんだね。

■リチャード・ローズの仕事

それで、今日やることはいろいろあるんですが、資料は読んできたよね? ……というか、読んでこなかったんだね。……リチャード・ローズの本は、レオ・シラードがロンドンの横断歩道を渡る場面から書かれています。……みなさん、資料をひっぱりだしてごらん。……どうもなりませんね。

配ってある資料に一通り目を通すと、リチャード・ローズの本から資料を作っていますが、何か選択的にしている、ということが分かるでしょう。どういう部分を選んでいるかというと、日本の原爆開発がどういうものだったか、ドイツの原爆計画がどういうものであったかということ、それをどうやって連合軍側が阻止をしようとしていたかというようなところですね。ソ連についてはそんなに選んでないです。よく読むと、日本もドイツも、アメリカも同じ穴のムジナだったかということが分かるはずです。前回に言ったように、実際に原子爆弾を作るということになると、たいへん巨大な社会組織、あるいは物的な組織を作り上げなかったらできない。その物的な組織というのは、結局のところ、お金がなかったらできません。しかも巨大な組織が何を目的にして動いていくかということを、組織の中にいて働いている人たちにも秘密にしなければならない。ある意味で基本的には同じことが日本でも起こっていた。同じでないのは、結局のところお金がなかったということだ。また、お金と無関係ではありませんが、それだけ巨大な社会組織を秘密の内に作ったりするようなことはできなかった。……資料を読んでおいてよね。

前回紹介したアンソニー・ケイブ・ブラウンたちが、戦後30年経ってそれまで秘密だった政府の文書が情報公開され、それを集めてみたら、誰も知らなかったとんでもない秘密、原子爆弾誕生の秘密が分かった、というのでThe Secret History of the Atomic Bombという本に編集をした。ほんとうに、それまでは、公開されるまでは、わからなかったんです。そうすると、公開された文書を編集した本だというだけでいいではないかと思うかも知れませんが、いまからいういくつかのことで、やはりリチャード・ローズの本には意味が、やはりこれはすごいなと思うところがあります。ひとつはさっき言ったように、日本ではどうしていたか、ドイツではどうしていたか、というところまで資料を集めて──その資料は非常に限られています。たとえば理化学研究所は軍人とどういう関係にあったかということが数少ない資料の中から掘り出されて──ここにアメリカの原爆開発と並列されている。結局のところ、日本には力がなかったからできなかったということが分かる。ドイツも結局のところ力がなかったからできなかった。

それからもうひとつは、原爆を作ろうという力、作らざるをえないとういう力が、アメリカにだけ働いていたわけじゃなくて、戦争しているどちら側にも働いていた。あるいは国──「国家」といってもいいんですが、日本という国家、ナチス・ドイツという国家──に、その力が働いたと言うべきなんでしょう。そのことはもっと深く掘り下げたいが、なかなかできない。リチャード・ローズがこの膨大な本の中に、一カ所にまとめてではなくて、アメリカで原子爆弾が開発されていく時間的な流れに並列させてその頃日本ではこういうふうになっていた、ということを描いている。これはなかなか大変なことだと思います。そのことで、僕たちは今までになかった視点を与えられる。理化学研究所の仁科さんが原子力開発の先頭であったということは良く知っている、たいていの人は知っている。……知らなかった? そうか。でも、これは多くの人に知られて。知られているけれどもその知られている中身は何かといったら、いろんなことを考えてこんな動機でそういうことをしていたとか、それは国家とはどういった関係だったか、というようなことはあまり考えてられたものではなかったですね。だけども、こういう風に歴史ジャーナリズムの中に取りあげられると、それが非常にはっきり見えてくる、ということがあります。

■戦略爆撃の思想

「草案」(『海軍要務令続編(航空戦之部)草案』)は要地攻撃を次のように定義する。

 軍事政治経済ノ中枢機関、重要資源、主要交通線等敵国要地二対スル空中攻撃ヲ謂フ

その要地攻撃の作戦実施は、以下の要領で実施される。

 第七十四 要地攻撃ノ要ハ作戦ノ推移二即応シ主トシテ戦略的要求二基キ、敵ノ軍事政治経済ノ中枢機関ヲ攻撃シテ其ノ機能ヲ停止セシメ、又ハ重要資源ヲ破壊シテ作戦ノ遂行ヲ困難ナラシムルト共ニ、敵国民ノ戦意ヲ挫折シ敵ノ作戦二破綻ヲ生ゼシメ、或ハ敵ノ主要交通線ヲ攻撃シテ兵力ノ移動、軍需品ノ補給ヲ遮断スル等戦争目的ノ達成ヲ容易ナラシムルニ在リ

前田哲男『戦略爆撃の思想(上)』より

それからもうひとつは、広島、長崎に注目をすることは当然必要なんでしょうけれども、実はアメリカは、日本への焼夷弾を大量に使う攻撃──「空襲」──をしますね。広島、長崎だけでなく、そのことについても相当のスペースを割いてリチャード・ローズは書いている。これも、なかなか……なんて言ったらいいか。おもしろいっいったら語弊があるんですが、なんといったらいいんでしょうね。

こういう、空から大量に爆弾を落す戦争の方法が、第1次世界大戦から始まって発展をしていくのですが、第2次世界大戦のときには「戦略爆撃」という言葉が生まれます。(板書して)strategic bombingといいます。その戦略爆撃の流れのなかに広島をおいたというのも、本来そうするべきだったという感じが僕にはします。それを、リチャード・ローズはしている。……(なんだか反応の薄い学生の様子を見て)ちょっとまじめに聞くけど、資料読んできた人、正直に手を挙げて?(ほとんど手があがらない)……読んでくれないとなかなか話しができないんだな。どうしたらいいんかね? ちゃんと読んできてよ。

戦略爆撃の思想(上)次の資料は、前田哲男という人が書いた『戦略爆撃の思想』(社会思想社、現代教養文庫)という本からです。これは上巻、下巻に分かれています。みなさんが見ている資料の中に抜粋してあるのは上巻の204〜273ページまでからと、一番最後のは下巻の方の274、273ページ。

『戦略爆撃の思想』は一冊、本体1,068円です。著者は前田哲男さんです。それで、「ゲルニカ──重慶──広島への軌跡」というサブタイトルになっています。ゲルニカって知っているかい(学生に尋ねる)? 知っているよね。知っているよね?(エ!エッ!といった感じで、学生の反応に反応する) スペインだよ、スペイン、スペインのゲルニカ。 

長澤智行: ピカソの?

中尾ハジメ:ああ、ピカソが「ゲルニカ」を描きましたね。ピカソの「ゲルニカ」を見ても、飛行機は描かれていないけれども、あれは空爆なんだよね。戦略爆撃ってやつです。それで、「ゲルニカ──重慶──広島への軌跡」。みなさんに配ったものをちょっと見てごらん。……(まともに反応できない学生を見て)今日はダメだ。壊滅状態だね。……一枚目をめくって裏を見ると「爆撃を記録する人びと」という奇妙なタイトルが出てますが、まずその下の方にね、「郭沫若──カク・マツジャクと日本語風には読みますが──、妻子を日本に残して抗日戦に加わる」というところがあります。重慶政権に加わるんだね。本の212ページには郭沫若の写真が載っています。

日本には、千葉県市川市に日本人妻の安娜と四男一女を残していた。……心を鬼にして書き置きだけを残し、熟睡中そっと家を抜け出し帰国の途についたのだった。……

で、彼が書いた詩があり、その次を見ると、

 詩人の目が、重慶城内のとある一角で、寄りそったまま結合し炭化してしまった母と子の骸に注がれ動かなくなった。……

そして、本では次ぎのページになって、

  長谷川テル、「売国奴で結構です」
 郭沫若とは違った立場ながら、祖国と大義の間に引き裂かれ、懊悩とした人が、重慶にはほかにもいた。長谷川テルである。彼女もまた痛恨の思いで日本軍機の中国民衆への無差別爆撃を目撃せねばならなかった。

で、長谷川テルがどういった人が説明して本の215ページ、216ページ1行目は面白いねえ。これは、日本の新聞がそういう風に作ったんですねえ。

「嬌声売国奴」の正体はこれ流暢・日本語を操り怪放送 祖国へ毒づく“赤”くずれ長谷川照子

というような彼女、長谷川照子ですが、216ページの最後の方には、

……みどりの五月を、日本軍の爆撃機隊は血の色に染め上げたのである。テルの住んだ西郊太田湾の家は被災しなかったが、その憤りは激しかった。

で、こういう詩を書いています。

  五月の首都で
 二つの河のあいだ……
空は高く晴れわたり、その深い青色の上に浮かぶちぎれ雲が白い。平地からいちばん高い山の頂きにいたるまで、新緑が輝いており、そのあいだを、黒い、また灰色の城壁がうねっていて、大きな麦ワラ帽子が、せわしげに、また、ゆっくりと動いている。

──いとしい大陸の都、おまえ、重慶よ!銀翼を浮かばせて悪魔どもが空に現れる。ドカン!ドカン!ドカン!私の足もとで大地が血をしたたらせ、おまえの上では空が燃えるそして、人びとが……ああ、おまえはかぶりを振っている。……

前田哲男は、その詩の後半部分を「長谷川テルは、同じ東京の五月に思いを馳せる」と引用している。「東京の五月」というタイトルだね。この時は1939年ですから、まだ、アメリカのB29は日本本土まで飛来して来てきていなかった。

…… おお──私の祖国では飛行機も大砲も荒れ狂ってはいないけれども、何かべつのものが、重苦しくのしかかっているのだから。 ……

ということです。それから、本の223ページからは、死傷者の数について書いている。これは数え方はいろいろある。というか、あまりそのようなことを問題にしても仕方がない気もします。問題なのは、無差別爆撃ですから、たくさん死ねば、死ぬほどいい。という考え方だね。一回の爆撃で、数百人、あるいは千人以上の人たちが死んだ。それは、時間がたつと、いや、そうじゃなくて一万人死んだ、とかいうことにもちろんなってきます。その数の数え方をあげつらってね、こっちが間違っているとか、あっちが間違っているとかというような言い方が流行っています。それは非常にばかげていると、僕は思います。

■「核を落とす思想」を告発できぬ日本

そして…さて、重慶の攻撃を経験した人たちが広島に原子爆弾を落とした、長崎に原子爆弾が落ちたということをどういうふうに考えたのか。感じるのだろうか。ということが、下巻の270ページ以降でうかがうことができます。サブタイトルでね、「『核を落とす思想』を告発できぬ日本」と書いてあるでしょ。こういうこともあるんだな。少なくとも、前田哲男はそういうふうに考えている。272ページの最初の方にはね、「日本にそのような技術も能力もなかった」──つまり、核爆弾を落とすだけの技術も能力もなかったと彼はいう。しかし、技術っていうのは基本的に人の頭の中に誕生するわね。金さえありゃあ、できた。「だが、物体としての核爆弾を持っていなかったとしても、『核を落とす思想』からの告発に無罪を申し立てることはとうていできそうにない」と前田哲男は考えていたのですね。

……日本人は──被爆者はべつにして──決して原爆投下に対する「ジャッジ判事」たり得ないのである。非戦闘員への無差別大量殺戮という戦略爆撃の歴史をアジアにおいて検証していくと、広島・長崎を導き出した自国の軌跡と対面することになる。中国と東南アジアの多くの場所に、日本軍によって遂行された「広島の前の広島」は今なお痕跡を残し、傷口を癒せずに苦しんでいる。

というようなことが書かれていて、273ページの一番最後、

 夏衍の回想を聞こう。
「日本投降のニュースが伝わるや、『新華日報』の全員が発狂しました。いや、全重慶が、国の人民が発狂したといっていいでしょう。「発狂」という語に軽蔑の念があると、いうなら、では、「狂えるが如くに歓喜する」の「狂」の字で形容しましょう。あるものは小踊りして欣喜しある者は流涕して声なし。眠れないままに私もこの日は、夜明けまでかけて新聞の校了紙を見おわり、市内に入って生涯また見られることのない国を挙げての歓呼に湧く情景を見ようと思いました。 ……」

と書かれてあります。ここには、広島のことは書かれていないよね。しかし、広島に原子爆弾が落ちた、長崎に原子爆弾が落ちたということを、重慶爆撃を体験した中国の人たちの中には大喜びをした人がいたとしてもおかしくはない。

■1913年に最初の「原子爆弾」をつくったH.G.ウェルズ

というようなことがあって、それでまたリチャード・ローズに戻るのですが……。原子爆弾を作るということはどういうことであったか、技術的な解説だけではなくて、こういう戦略爆撃のような考え方とともに原子爆弾は作られた、あるいはそういう考え方の中で作られたということを、リチャード・ローズは描いている。それから、考え方だけではなくて、実際にアメリカの日本本土への空爆がどのようにして行われたかということももちろん書かれている。それで、よくよく考えてみると、その一番最初の「月影」の書き出しの部文に出てくるシラードという人の頭の中、心の中でおこっていたことがどういうふうになっているかということについても、いろいろ書いているわけですが、そのシラードが読んでいた本があるんだね。もちろん彼はいろんな本を読んでいたに違いないのですが、その中の一つに今さっき渡した資料にあるH. G. ウェルズの『解放された世界』というのがあってね。……資料の『解放された世界』は読んだんかな? 読んだ人ちょっと手を挙げて。(ほとんど手は挙がらず)

みんなちゃんと読むんだよ。それでそれをどういうふうに読むかという非常に難しい問題があります。どのように難しいかといいますと、ひとつはですね……。……ちょっと資料を引っぱりだしてごらん。H. G. ウェルズがどういう人だったかということは今のとこはおいといて、原子爆弾が投下される場面をちょっと見てごらん。……(学生が資料を出すのにもたつくのを見て)もう五月祭ってのは禁止しようか?(笑い) みなさんもうぼおっとしてて全然使い物にならない。

まず、この『解放された世界』は何年に書かれたって書いてあった? 1913年だね。出版されたのは1914年。1913年に書かれていて、原子力を利用した爆弾が開発されるような世界を描いている。それでどういう戦争でそれが使われるかというと、それはどうやら次の──つまりまだ1913年ですから第2次世界大戦はまだ始まってなかったんだけど、それはもう始まりそうだって感じがしたわけね──始まりそうな世界規模での戦争で、それがどういう国家の間で戦われるかということも書かれている。その戦争が起きるのは、このお話では、 1956年ぐらいかな。実際にはその年には起こらなかった。もっと前に起こってしまった。第一次大戦では核兵器は登場しなくて、毒ガスってのが登場したわけ。核兵器が登場する戦争というのは、H. G. ウェルズが書いたように1950年代ではなくて1940年代に始まる、というのが現実の姿です。

それで、さっきちょっと難しいって言ったのは、「ああすごいな、1913年にもうそんなことを考えてたんだ」という読み方が当然できるよね。だけどもう一つの読み方っていうのは、どういうことかっていうと、これもまたすごいことなのです。H. G. ウェルズの頭の中に描かれている、あるいは彼がそういうふうに考えられるといったのは何かというと、要するに「戦略爆撃」あるいは「核兵器を使って人間は戦争をすることができる可能性」がある、ということなんだね。じっさいに核兵器ができるよりも30年も前にそんなことを考えた人がいる。そんなことを考えられるのはすごいな、という「すごいな」と、そんな恐ろしいことは実は1945年になって突然誕生したんじゃなくてね、そうではなくて、ずっと前から人間の頭の中にあったということが「すごい」。これについてちょっと考えてほしい。それはおそらくH. G. ウェルズ一人の頭の中にあったんじゃなくて、人類っていうのはそういうものなんだね。よく表現できませんが。そういう恐ろしい問題がそこにはあります。

■S.F.の予見する現実、S.F.を超える現実

ただしH. G.ウェルズが書いたのはそこまでです。それがどうやって製造されたかということはやっぱり空想でした。空想だったから、家内手工業的な科学実験室みたいなもので爆弾を作ったりするというようなことになるんですね。多少ものの分かっている科学者は誰もが、それは決して不可能だと思ったことでしょう。たとえば、ニールス・ボーアという人がいますが、アメリカへ渡る時にね、核爆弾・原子爆弾を作ろうという動きがあると彼は知ってた。それはアメリカ全土を工場にしたらできる、アメリカ中を核爆弾を造るための工場にしたらできる、というふうにニールス・ボーアは理解してる。しかしアメリカ中を核爆弾を造るための工場になんてしないでしょうから、核爆弾なんかできない、という意見だったんだね。ところがアメリカへ着いてまず聞いたのはどういうことかっていったら、それはできる──「できる」んじゃなくてアメリカ全土を工場にした。その通りそういうふうにしました。という言葉だったんだね。「たとえ」っていうと「たとえ」だけども、単なる「たとえ」ではなくて、実際にアメリカの全社会を動員して、原子爆弾製造に取りかかったんだね。ところが動員された全社会の方は、何してんだかよくわかんない、ということだったのですがね。

■核兵器を保有することは日本国憲法に抵触しない?

さて、インドとパキスタンが何かあやしいことになってしまったのは、皆さん御存じですね。あれはほんとに核兵器を使うことになっても全くおかしくない状況です。その隣の中国は何発持っているだろう? きっと中国はたくさん持っていますね。京都新聞という新聞がありますが、京都新聞の6月1日の朝刊を見た人いる? 誰もいない? 第一面トップ、「“非核三原則を見直す”政府高官発言」。物凄い大きな活字で出てたよ。みんな読まなかったの? 核兵器を持つこと自体が憲法違反であるということはない、つまり核兵器を保有することは憲法に抵触するということにはならないよ、ということは、長い間日本政府は密かに──新聞にデカデカとは出ないけどね──しかしずっとそう言い続けてきました。しかし実際には日本政府は核兵器の開発をしようっていうことは考えていない。……いなかった。でも、だんだん雲行きがおかしくなってきて、「憲法に抵触しない」だけじゃなくって、「非核三原則──これで佐藤栄作さんはノーベル平和賞をもらうわけですが──非核三原則をやめてもいいんじゃないか」ということを、しゃべっちゃったんだね。これはもう大問題ですよ。こんなことを言ってしまっては、有事立法なんて今国会で成立させることはほとんど不可能だと思いますが、ひょっとしたら不可能じゃなくて、むしろ有事立法を押し進めるのと歩調をあわせてこういうことを言ってるのかなという感じもします。しかし、日本を核兵器で守ろうという論調はずっとあって、とうとう政府高官がそういうことを言うようになってしまった。で、小泉さんは「自分の内閣ではそういうことはしません。見直す必要もない。」と言っておりました。ただしこれからちょっと国会は大変なことになりそうですね。

というようなことなんですが新聞を見ると、そういう軍事的な核の利用のことだけではなくて、原子力発電とか、最近は核融合を国際的にやろうという動きが書かれている。その核融合をするための施設を青森に誘致をしよう、とかね。どこに誘致をしようとか。こういうことをまた始めているようです。こういうことは新聞に載っていたりするので、みんなちゃんと読むんだよ。それから、浜岡原発はちょっとまずいことがあって長い間点検をしていましたね。それで再開した1日目に、また水漏れを起こしちゃった、というとんでもないことが起こったりしています。

■特別統治権──科学から政治へ

いろんなことがあるんだけれども、そういうことの始まりはいったいどんなふうであったか、というのをリチャード・ローズがものすごく丁寧にいろいろに書いているんだよね。だからぜひとも資料は読んで下さい。最初に言ったように、すでに皆さんの手元に渡っているものは、僕が選択的に選んだものです。その選択の一つの基準はなんだったかというと、日本での開発とかドイツでの開発とか、ロシアでの開発のこととかが書かれているということだった。 今からお配りする資料は、それとはまた違う話の筋で、ロンドンの交差点を渡っているときに核分裂の連鎖反応の可能性がひらめいてしまったシラードが、その後どういうかたちで登場してくるかということを少し追いかけるような選び方をしました。……(資料を配りながら)やっぱり資料読んできてよね。でないとおれ、失業するよ(笑い)。ややこしいでしょ、たくさん資料があるから。各自できちんと整理をしておくんだよ。

先ほど言い忘れたんですが、リチャード・ローズの「歴史ジャーナリズム」……。彼はジャーナリストなんですが、それまで彼のような書き方をした人はいなかったんですね。「彼のような書き方」というのは、たとえばルーズベルトと原子爆弾との関わりに注目をしたりしたんですね。これは意外にあまり注目されていなかった。いまだにはっきりしていない点も多々ある。あんまり材料が残ってないんですね。ルーズベルト自身による回顧録のようなものもないんです。

みなさんが持っている資料にあるように、『原子爆弾の誕生』の第2部のタイトルは「特別統治権」ですね。これはなんでしょう? 「統治権」はわかるかな? 瀋陽の領事館に中国の警察官が立ち入って、そこに逃げ込もうとしていた人たちを敷地の外に引っぱり出しましたね。そのときにどう言われたかというと、「主権の侵害である」という言葉が使われましたね。「ここはおれの敷地だから入っては行けないよ」とか「入ってもいいけど、入ったらおれの言うことを聞けよ」というようなのが「主権」なんですね。これは別の言葉でいうと「統治権」です。で、京都精華大学には「自由自治」っていう言葉があるけど、たとえばさっき僕は「みんなダラケちゃうから、五月祭は禁止だ!」と言いました。すると、まるで僕に禁止する権力があるようですが、そんなものありませんね(笑い)。そういうのも「主権」ですね。ですが、普通は「主権」であるとか「統治権」という言葉は、「国家」について使われる言葉です。その「領事館」というのは、「日本国家の主権」の働くところであって、中国の官憲はそこに立ち入ってはいけないはずなんですね。これを英語で言うと sovereignty っていうんです。お配りした資料のリチャード・ローズの第2部のタイトルは、英語では Peculiar Sovereignty というものなんです。この訳者は peculiar を、「特別」としたんですが、どうでしょう? ちょっとおかしいよね? 「奇妙な」とか「一風変わった」、あるいは「特異な」くらいのほうがいいような気もします。「特異な統治権」──この場合は「主権」という言葉を使うよりも、「統治権」という言葉を使った方が理解しやすいかもしれません。 シラードを追っていくと、いま皆さんが見ているような資料にたどり着く。H. G.ウェルズのような人の想像力を持って、しかもH. G.ウェルズが持っていなかったような科学的思考力を持ったシラードが、大統領に伝えるんですね。「核兵器を作ろうよ」と。「作れるから、作りましょう」と進言をするんです。そのために国家規模──日本程度の「国家規模」ではできないような──ことをやる必要がある。ルーズベルトは、このシラードの進言をものすごくよく理解したんです。「よしやろう」と応えたんです。シラードにしてみたら──これは極端な言い方で誤解を招くかもしれませんが、分かりやすくするためにあえて言います──自分たち科学者とルーズベルトが一緒に手を組んで原子爆弾開発をしよう──つまり、大統領と科学者たちが協力して仕切ろう──というように考えたんですね。自分は賢い科学者である。ルーズベルトは賢い大統領である。他にも数人の賢いやつがいる。この人間でアメリカの社会を動かして、原子爆弾を作ろう。そういうニュアンスを込めて、シラードは大統領に提案をしたんだと思います。ここからが大統領の怖いところです。大統領は「よしわかった。やろう」と応えた。その瞬間から──シラードが意識していたか分かりませんが──シラードは大統領の権力の支配下に置かれたんです。大統領の統治の支配下にね。

ちょっと前の授業で、「情報権力」という言葉を使いました。やがて大統領のもとには、シラードの他にもいろんな人が集められました。それを大統領が采配した──精華大学もそういうふうにしたいなあ(笑い)──。で、何が起こったかといいますと、シラードは外されるんです。途中を抜かしてしゃべってしまいますが、本の第18章にあるサブタイトル「レオ・シラード、トルーマン政権に接触」のところを見てください。ルーズベルトはもう死んじゃっているんだね。トルーマン政権に接触して、シラードが言おうとしたことは何か? 「原子爆弾は使わない方がいい」……と、シラードは言うんです。

シラードの名前は、アインシュタインのかげに隠れて、薄れてしまいます。だから皆さんの記憶の中にはぜんぜん残っていないことだと思いますが、ルーズベルトに原子爆弾を作ろうということを進言したことは、アインシュタインとシラードの合作ではあったけれども、言い出しっぺはシラードだったんですよ。それから、トルーマンに対して、「原子爆弾を使うな。テストもしてはいけない」と、いうことを言ったのも、アインシュタインだ、と言われていますが、そこに書いてあるようにシラードが動いたんだね。なんで「シラード」という名前があまり知られていない、ということになってしまったのか? これについても皆さん考えてみてください。おそらくアメリカでも日本の我々と同じだと思います。アインシュタインは知ってるけれども、シラードは知らない。何ででしょうね? 30年間の間、機密文書が公開されなかったからかな。この原子爆弾誕生に関わった人たちも、長い間あまりこれについてしゃべらなかったんだね。

というわけで、今週は終わります。来週こそは、もうちょっと原理的なことに踏み込んでいきたいと思います。みんな資料をしっかり読んで来るんだよ。

授業日: 2002年6月4日; テープ担当学生:佐々木良太、長澤智行