京都精華大学の幸運──30周年をむかえて──

『木野通信』No.29 巻頭言, 1998年7月

私たちの大学が、美術科と英語英文科からなるほんとうに小さな短期大学としてスタートしてから、今年で30年になります。設立準備にかかわった人々は、当時どんな未来図を思い描いていたでしょうか。「自由自治」や「国際主義」という理念が彼らをはげましたことは疑いありません。なかには、二十年後、三十年後の大学の姿を具体的かつ詳細に思い描くということもあったかもしれません。いずれにせよ、時代の変化は大きく、すべての未来図は繰りかえし繰りかえし描きなおされ、たたきなおされてきたにちがいありません。そのように、京都精華大学は大きく変化し、生きつづけてきました。再訪する多くの卒業生諸君が大学の発展に目をみはり喜んでくれることはなによりです。

多くの人々に感謝せねばなりませんが、京都精華大学は、理念的であれ具体的であれ、いまだに夢を持ちつづけています。経験をつんだものには、それは鍛えられた夢であり、若い人々には実現されようとする自分の可能性であるかもしれません。教育の場であれば本来それは当然のことだともいえますが、夢をもつことを手ばなさずに働きつづけ、学びつづけることができるこのような場は、今日どこにでもあるわけではない。私たちはほんとうに幸運だった。それが私の実感です。

この幸運の依ってきたものが何であるのか。文字どおり体当たりで、すべてをかけてこの大学を創りだし支えようとした人々の直接的な協働性を、私は躊躇なく指ししめしたいと思います。岡本清一初代学長のみならず草創期の人々すべてが、さまざまな夢が沸きだすような可能性をその手につかみとった瞬間から、骨身を惜しむことなく仕事に打ちこんでいった姿が想像されます。確かなのは、その人々の気風が受継がれ、この大学で働く私たちのなかに、いまも残っていることです。他ならぬ自分たちの直接的な働きによって学生たちとともに学園を実現するという矜持だったといってもいいでしょう。

たしかに学生数は増え、組織は大きくなりましたが、この協働性はまだ生きつづけています。この幸運のもうひとつの源泉を、これまた躊躇なくあげることができます。用務の仕事、警備の仕事、食堂の仕事、情報館の仕事をする人々から、学外実習先の工房の人々、関係企業の人々まで、大学が若者の成長の場であることを感じとり、例外的ともいうべき好意をもって働いていただいていることに、感謝します。そのことがなければ、「人間形成」という根幹の理念が、なによりも先に形骸化してしまったにちがいありません。

京都精華大学は、この木野の静寂な風景のなかに忽然と出現し、ときとして騒々しいまでの活力を年々高めながら今日までやってきました。最後に、この大学を寛容に支持してくださった近隣の人々にまで私たちの感謝を広げたいと思います。