『なぜ世界の半分が飢えるのか』

1999.6.26

今回は、スーザン・ジョージ『なぜ世界の半分が飢えるのか』(小南祐一郎、谷口真里子訳、朝日新聞社、1980年/原著は1977年刊)をとりあげたい。

『成長の限界』(1972年)でメドウズたちは世界人口の増加傾向から議論をはじめ、人口の成長と工業の成長のあいだにある相互関連のシステムを考え、早く手を打たなければ人口と工業力の突然の制御不可能な減衰が起こると警告した。20年後の『限界を超えて』では、すでに限界を超えてしまった人類がまだ後戻りできるという仮定をつけくわえたが、基本的な議論の方法は変わっていない。いわゆるシステム論である(最終章だけが、「愛」や「勇気」を語り、システム論とは異質になっている)。

さてスーザン・ジョージは、おなじように世界人口の増加傾向から議論をはじめても、その議論の方向はまったくちがう。メドウズたちと同じように、1950年ごろには2億7千万ほどだった世界人口が1970年ごろには36億人となり、2000年には70億人を超えるというような見込み(国連の数字)を前にして、彼女はこういう。

(1977年の時点で)すでに40億を超える人口を抱えた世界で、われわれはいま、ともかく食べていかなければならないということを認識することのほうが重要である。この認識が、後日われわれが人口を減らせるかもしれないという希望につながってくるからである

というのも、「100ヘクタール以上の土地を持つわずか2.5パーセントの地主が、世界の土地の4分の3近くをその手に収め、さらにその上位の0.3パーセントが世界の土地の半分以上を支配していること」を彼女が見ているからである。

たとえば、世界でもっとも人口の多いアジアのなかで当時概して食糧事情のよいと考えられていた中国、韓国、台湾、北ベトナムの総人口一人当たり耕地面積が、それぞれ0.13、0.07、0.06、0.10ヘクタールであり、これをインドの0.30、パキスタンの0.40ヘクタールや、バングラディッシュの0.16ヘクタールと比べてみれば、問題は土地所有の構造にあると考えられたからである。そして、

世界の半分の人びと、すなわち第三世界の人びとに、どう生きるべきかとか、何人子どもを産むべきかなどと説教するかわりに、西側にいるわれわれは、じぶんたちのそういうおせっかいの動機を調べるために、よそから助言でもしてもらうほうがよさそうである。
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『貧乏人に避妊薬を』という人びとの最大の善意でさえ、傲慢の罪をまぬがれ得ない。
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しかし、こんなにも多くの西側の人びとにとって憂慮のタネとなっている第三世界の人びとも、彼らの国で真の開発や公平な政策が行われれば、いますぐにでも避妊薬や避妊具にびっくりするほどの気軽さで飛びつき、それをお楽しみの時間につかうようになるであろう」

という。問題は、第三世界の特権層に結びつく先進工業国の援助にあり、また工業的な技術の押しつけ、多国籍アグリビジネスの横暴にあるという。スーザン・ジョージはこれらの問題を、システム論ではなく、現実の政治問題として描写する。それが、この本の中味だといっていい。

スーザン・ジョージがこの本をだしてから約20年がたっているが、状況は基本的には変わっていないように思える。先進国の人びとが環境問題に関心を持つようになったのは、けっして悪いことではありえないが、やっかいなのは、環境問題は政治の問題でもなければ経済の問題でもないと思いこまそうとする力も大きくなっているかに見えることだ。「環境運動」がシステム論を拠りどころにしようとすることを頭から非難しようとは思わない。しかし、現実の人間の世界のなかで私たちが何をすることができるかを考えようとするとき、どうしても必要なのが政治への視点であることを忘れてはどうにもならない。

だれが、どんな動機で、なにをしているかは、どう考えてもシステム論のとらえられる事柄だとは思えない。「愛」や「勇気」が発揮されることも、私にはシステムとしてはとらえることができない。具体的な人間の世界に目をむけ、その人間の世界を論じることにならなければ、「環境運動」は実質をもつことはできないだろう。

スーザン・ジョージは最終章を、現実的な変革運動をいかにすすめたらいいかについて具体的に例示することで締めくくっている。そして彼女は、どんな変革運動に加わる場合にも謙虚さがいる、という。

長い時間をかけて成果をもたらす活動というものは、通常、少数派の活動である。政治制度というものは、純粋に物理的基準をあてはめてみればまことに非能率的であり、厖大な量の入力をしても、ごくわずかな出力にしかならない。このことも承知しておかなければならない