原子力潜水艦クルスクの運命

2000.9.16

この8月12日、ロシアの原子力潜水艦クルスク号はコラ半島沖のバレンツ海に沈み、手後れだった救助活動は世界の耳目を集めた。今回は原子力潜水艦についての、いくつかの知識をまとめておきたい。廃艦になった原子力潜水艦が核燃料棒を積んだまま何十隻も、たとえばウラジオストックに、放置されているということも忘れないでおこう。

水中に隠れてひそかに作戦を行う恐るべき潜水艦には、もちろんそれに見合った恐るべきリスクがある。浮上することができなくなったら、それまでである。ひそかに潜航するということは、できるだけ音もたてずに、光もださずにということを意味する。潜水艦に乗り組み潜航するということは、戦闘状態でなくとも、救助されるチャンスがきわめて小さい特種な任務につくということだ。1960年代にはソ連の潜水艦少なくとも4隻が沈没し、合計で300名ほどが命を失ったことが知られている。そのうち1968年の沈没事故はハワイ北西でのことであり、ミサイル燃料の爆発で98名の乗員とともに5,000mの海底に沈没している。

さて、原子力潜水艦は、その推進力の大きさのみならず、燃料を補給するために寄港することも浮上することもなく水面下に隠れたまま航行しつづけることができるところに特徴がある。だからといって、救助されるチャンスが従来型の潜水艦にくらべて大きいわけでないのは、もちろんのことだ。潜水というリスクのみならず、複雑な機械の巨大なかたまりであるというリスク、それも原子炉という途方もないリスクをかかえての航行である。

原子炉にかかわる危険な事故は文字どおり数えきれないほどであり、核兵器の使用まで一触即発の危険な状況も数多くあったが、これまでどれだけの原子力潜水艦が乗員とともに海底に沈んだだろうか。アメリカの原子力潜水艦スレシャー号が129人の乗員もろとも大西洋の5,000mの海底に沈んだのは1963年のことだった。なんらかの原因で原子炉が緊急停止し出力を失ったためといわれている。その2年後には原潜スコーピオン号が乗員99名とともに3,000mの海底に沈没している。もちろん核兵器と原子炉の膨大な核燃料を積んだまま。

ソ連原潜についての沈没記録は、1968年のホテル級原潜の沈没および艦級不明原潜の沈没にはじまる。70年にはノベンバー級原潜が演習の帰途、火災から原子炉停止、4,700mの海底に乗員52名とともに沈む。83年には演習に向かおうとするチャーリーI級原潜が原子炉室に浸水し水深50mに沈没し、16名が死亡。その同じ艦が2年後にカムチャッカ沖で再び沈没。86年にヤンキー I 級原潜がミサイル燃料爆発から火災、炉心溶融は寸前で回避するも5,500mに沈没し、乗員4名死亡。89年にはマイク級原潜コムソモレッツ号がノルウェー沖で火災、酸素発生装置の爆発から沈没、66名中42名が死亡。知られているだけで以上の6件があった。そして今回のクルスク号である。

クルスク号はオスカー II 級と呼ばれる巡航ミサイル原子力潜水艦のようだ。この級の原潜はロシアに11隻あるといわれている。全長は約154m(あるニュースでは180mといっていた)。水中排水量、つまり潜ったときに押しのける水の重さは18,000トン。とてつもなく大きい。

オスカー II 級の推進機関は、加圧水型原子炉2基とそれに直結するタービン2基が基本になっている。スクリューは2軸で98,000軸馬力(スクリューを回す力)とされている。さらにタービン発電機4基、ディーゼル発電機2基、2次推進モーター2基がある。潜航中の速力は28ノット(時速約50km)、最大潜入深度は500m。6門の魚雷発射管のほかに巡航ミサイル発射筒24門を備えている。

アメリカの最大級の原潜と比較してみよう。アメリカの弾道ミサイル原潜オハイオは全長170.7m、水中排水量18,750トンと似たような大きさだ。加圧水型原子炉1基とそれに直結するタービン1基、スクリューは1軸で60,000軸馬力、2次推進モーター1基となっている。水中速力はおそらく25ノット(時速約45km)であろうという(攻撃型原潜シーウルフの水中速力は35ノット)。最大潜入深度は不明だが、安全潜入深度は300m。4門の魚雷発射管と弾道ミサイル発射筒24門を備えている。

おそらく原子炉の規模、出力もアメリカの最大級のものと同程度だろうと推測できる。ニュース・ステーションで流された情報によれば、クルスク号の原子炉の熱出力は34万kwだという。すなわち、日本でも標準的になっている原子力発電所の100万kw発電炉の熱出力の約9分の1の規模である(原子力発電の熱効率はきわめて悪く100万kwの電気出力のために300万kwの熱出力が必要だ)。ちなみに、京都大学の原子炉実験所がもつ原子炉は5,000kwの熱出力だというから、クルスク号の68分の1の規模ということになる。

クルスク号はとてつもなく巨大な出力の原子炉をかかえていることになるが、この34万kwという数字には信憑性がある。60,000軸馬力のアメリカ原潜オハイオの熱出力は30万kwと推定されていて、その4倍以上の260,000軸馬力をもつ4軸方式タービン駆動のニミッツ級原子力空母の2基の原子炉熱出力合計は120〜180万kwと推定されている。ニミッツ級1隻でなんと関西電力の美浜1号炉(電気出力30万kw)二つ分に相当することから、原子力空母の巨大なエネルギー規模は想像することができるが、最大級の原潜も美浜1号炉の3分の1前後のやはりとてつもないエネルギー機械なのだ。

もちろん原子力空母や原潜の原子炉は、商業用発電炉で使われる2.5%程度の濃縮ウランではなく90%以上の濃縮ウラン燃料を使っている。しかし、34万kwの熱出力が意味することは、原子炉のタイプがどうであろうと、それがウラン燃料を使いきった段階で、広島型原爆にして100発分以上に相当する核分裂生成物質(死の灰)を炉のなかにかかえていることを意味する。

その規模の原潜だけを考えてみても、ロシア、アメリカを合計すれば20数隻存在する。それが世界の海を動きまわっているのだ。潜水艦は、それ自身が攻撃能力をもつが、それゆえ攻撃の標的であることをやめるわけにはいかない運命にある。敵の攻撃による被害が原子炉におよんだとき、なにが起こるだろうか。海のスリーマイル島事故でありチェルノブイリである。原子力潜水艦に乗り組む軍人は、もちろんそのことをよく知っていいるにちがいない。

攻撃がなくても、原子炉事故の起こる確率は、地上の発電用原子炉にくらべてはるかに大きい。すでにわかっているだけでも、もちろん核兵器にかかわる放射能事故もあるが、原子炉にかかわる深刻な放射能事故は毎年のように発生している。原子力潜水艦の、よく知られたリスクである。こういったリスクに対する最低限のというべきか、最大限の防御方法のひとつが、原子炉の緊急停止ということなのだ。

クルスク号は、原子炉が停止していなければ、生存者が生き続けるためのさまざまな条件を確保できたかもしれない。もちろん、そうでなかったかもしれない。しかし、艦がなんらかの事故に遭遇したとき、たとえば爆発のような衝撃を受けたとき、原子炉が停止をしなければ、その後起こりうる惨事は乗組み員の死をはるかに上回る可能性を否定することはできないだろう。炉の運転、つまり核分裂連鎖反応を続けたまま沈没することは、確実に回避されなければならない。原子力潜水艦に乗組むものは、このことをよく知っていたにちがいない。

そのようにして、クルスク号の原子炉は艦首部分での爆発とともに停止し、艦は海底に横たわったのだろうと思う。

しかし、クルスク号の一件はこれで終わったわけではない。危険きわまりない膨大な核燃料をかかえたまま、手をつけることができずに、水深100mに横たわっているのだ。