1998年 卒業式挨拶

作成: 1998

芸術家、研究者は、イメージを創りださなければなりません。それは、かたちや表情、あるいは音色というものです。自分のなかに、なぜか湧きあがってくるそれを、ひたすらとらえなければなりません。とらえて表現しなければなりません。そんなことは、自ずとできると思っていたかもしれませんが、自分の名前のつく仕事となれば、これがどれほど大変な仕事であるか、皆さんは骨身にしみて理解したと思います。とりわけ、卒業制作とか卒業論文とかで、簡単なことではないのがわかったと思います。

それは、これだ、というかたち、表情が、なぜか湧きあがってこない、自分自身でそれをとらえることができるほどにはっきりとは湧きあがってこない、ということがおこるからです。

感じさせるイメージが、いつも存在するというわけではないのです。芸術家でなくても、人はだれでも、自分をなにか揺り動かすイメージ、感じさせるイメージが枯渇してしまうときは、たいへんです。それは、私は無感動で、無意味なのだ、という認識です。

そうなってしまったとき、できることはといえば、これだというイメージを外部に、また自分自身の内部に、ひたすら探しだすしかありません。この探しだすということには、能率的な方法があるわけではないようです。あてどもなく、あるいはただひたすら深く深く探すしかないのです。しかし、自分をわずかでも振動させるイメージを探しつづけること、これをやめれば、すべては終わりです。

ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』、これは「ネバーエンディング・ストーリー」という映画になりましたが、みなさんは、10歳ぐらいのときに見ているかもしれません。エンデはこの作品を、想像力の擁護のために書いたのですが、その想像力の初原的な要素がイメージだと考えていたようです。その終わりのない物語の、その終わりのほうで、エンデは主人公の少年が、いわばその想像力をあまりに現実からはなれた、自分自身の現実体験からはなれたことに使いつくしてしまい、自分がなにものであるか、自分の名前以外は思いだせないようになる姿を描いています。

少年は、地底にむかって掘られた縦坑に、盲目の坑夫に導かれて入り、暗闇のなかに幾重にも積み重なる雲母の薄片を掘り出しては、外の薄明かりのなかで、自分の心を振動させるイメージをその薄片のなかに見つけだそうとします。それは、まったくあてどもない仕事だとエンデは描いています。どれくらいの時間がたったかまったくわからないのですが、やがて少年は一枚の絵を発見します。一人の男が四方八方を氷に閉じ込められているイメージだったのです。もちろん、この男が誰であるか、自分の名前以外のすべてを忘れてしまった少年には、わからなかったのですが、この見知らぬ男への感情が、始めはそれともわからないほどのかすかな波のように押しよせ、やがてその波に少年はのみこまれてしまうのです。その瞬間少年は、覚えていた最後のもの、自分の名前を忘れる。

名前を失った少年は、手に入れたイメージだけをたよりに、現実の世界にもどろうとします。イメージが想像の世界への導き手であり、また現実の世界への最後の導き手だということなのです。

この物語の最後の最後には、少年は自分の名前を取りもどします。それは、雲母にえがかれたイメージの男が自分の父親であるとわかることによってだったというわけです。

みなさんは、これまでの自分の生きてきた、その姿を物語りとしてとらえることができるでしょう。そこには、必ず心を振動させるイメージがあるはずです。それは狂暴なイメージであったりもするでしょう。あるいはとても寂しいイメージかもしれません。それでも、なくてはならないイメージなのです。

もうひとつのなくてはならない要素、それはみなさんの名前です。人間には、ひとりひとりに名前がついています。あまりにも、あたりまえで意識されることがありません。このことについての哲学は、ほとんど存在しないほどです。

なぜ、人間には名前があるのでしょう。

区別をするためでしょうか。それは、とても不十分な答えでしかありません。

なによりも、それは、呼び交わすためにあるのだと思います。

呼び交わし、たがいに何事かを引受けるために、あるのだと思います。もちろん、これを逆手にとって、匿名という方法があります。が、その前提も、本来ひとりひとりが名前をもっていることです。そして、そのことが、物語的な想像力の、人生を織りなしていく想像力の、決定的な要素だと思えるのです。

赤ん坊のころのことを覚えているでしょうか。

初原的なイメージは、どこかにあるのですが、私たちは物語りとしての体験に、それを位置づけることができないのでしょう。私たちのなかで、自分の名前が、それまでとは違う意味をもちはじめたときから、物語を織りなすようになってから、私たちの記憶ははじまるようなのです。

おまえ、そんなに驚いた顔をして
きょうは、どこへいってきたんだい
ぼくは母さんをさがしている
わたしが、おまえの母さんじゃないか
ぼくを生んだのは、どこで
ドゥーキの木の下で生んだのさ
ぼくになにをかぶせた
ドゥーキの葉っぱだよ
そしたら、ぼくの母さんだ!
突然、母は杵をほうりだし
家にかけこんだ
ダチョウがあとを追いかけた
母は父をみつけた
そしていった「わたしの子どもをみつけたよ!」
ふたりはさけんだ
父は雄牛をつかまえ、大地にたおし
名づけの儀式をおこない
子に名をつけた
このお話はここから跳んで
あそこまでいってとまる

これは、アルディオーマ・ディアロという人が、あつめた民話のひとこまです。ディアロは、西アフリカの、おそらくはセネガル出身の人ではないかと思います。トゥクロールと呼ばれる人々の民話のひとこまです。ディアロは、トゥクロールの言葉からフランス語になおし、それが英語に訳され、その英語からまた日本語に訳したというわけですが、この、不思議なお話が、私には、ただの特異な民族の習わしを伝えているだけのものには、思えませんでした。

ここには、私たちが名前をもつということの本質が表されているように、感じられてならなかったのです。

子どもが、このように、親を、自分の親と認めたときから、記憶に残る物語が始まるように思えるのです。そのときから、自分の名前には、それまでになかった新しい意味がつけられるように思うのです。いわば、なにごとかを、自覚的に引受ける関係が始まるのです。

友だちとして呼ばれる名前。

恋人の名前。

心のなかでなんどもくりかえして、ついに当人にむかっては、呼びかけることのできなかった名前ももちろん。

そして、それぞれが引受けるべき仕事のなかで、呼び交わされる名前。

名前は、そのためにあります。その名前をなくしたり、名前の意味を自分から小さく薄くしてしまうような、なれあいの仲間のなかにかくれるような、ことのないよう、この卒業式が、もうひとつの名づけの契機となるよう、自立への大きな一歩となるよう願ってやみません。