塀のない大学でありつづける

『木野通信』No.28 巻頭言, 1997年11月

私たちの大学には塀がありません、ということを私たちは誇らしげにいってきました。京都精華大学は閉鎖的ではなく、開かれた大学であろうとしている宣言だったわけです。開放的であろうとすることが、実際に物理的な塀をつくらないことに表れている、ともいいたかったのです。物理的な塀によってキャンパスが囲まれていることを思いうかべてみれば、それだけで、物理的な塀の心理的な効果を感じることができるでしょう。だからキャンパス計画の任にあたった人たちは、きわめて意識的に、石の塀も鉄の門もつくらなかったのです。

もちろん、地形がいわば自然のキャンパス境界をつくっていたということは、じつは幸運だったにちがいありません。谷間にあって外から見えにくいということを、広報的に不利な要素として嘆いたこともあったのですが、それに拘るよりは心理的な開放性を最大限いかすような方向を打ちだせる好条件だとしよう。そういう選択をしたのだと思います。開放的な雰囲気よりも管理の経済効率だというケチな考えだったならば、敷地境界の日にみえるところには確実に立派な塀ができていたことでしょう。もちろん立派な塀も門扉もない大学は、ここ以外にもあることはありますが、私たちの大学が約三十年のあいだ塀なしでやってきたのは、いわば身をもっての思想の実証だったわけです。そのことをさらに誇りにしつづけたいと願わずにはおれません。

しかし、ここにたち現れる課題は、容易いものではありません。たとえば新しい情報館、また情報館ギャラリーが誕生したことは、数十人からの市民が毎日のようにキャンパスを訪れることを意味します。大学での芸術や知的活動のやりとりの重心はいままで圧倒的に教室にありましたが、それが情報館に、ギャラリーにむかって少なからず動くということであり、教員と学生の関係に市民がくわわり、サロンやシンポジウム的な交流がこれまで以上に多くなるということでしょう。さらに、コンピュータの普及による通信情報環境の大変革が、同時進行的に起こりつつあるということがあります。コンピュータでの読み書き能力が必要になるのは当然ですが、もっと大きな意味は、それを通じて、ほかならぬ大学の開放性が、競われる状況がすでにそこにあるということです。もちろん、情報館をつくったのはこのためです。「塀のない大学」を語りつづけるのみならず、積極的かつ実践的に、さらに開放的な知性の場をめざすためです。そこにむかう果敢な取り組みが、さらに多くの学生、教職員のなかから現れることを期待しています。