第7回 つまづきは新しい知のはじまり?

中尾VS学生学生:中尾ハジメが用意するものはジャーナリズムではないような気がするけど、じゃあ、ジャーナリズムとは何かを聞かれたら答えられない。というところが「矛盾」であると先生には言われているんだけど・・・。まだ、『谷中村滅亡史』は、政府とか、癒着している財閥とかのことを激しく批判していることが分かるんですけど、でもミシュレとか、ウィルソンの『ナチュラリスト』は、何かを批判しているというよりも、ただ自分の思いを語っている、という感じでした。で、そうすると、はたしてこれはジャーナリズムと呼べるのかな、という感じがしました。

中尾ハジメ:中尾ハジメがいかに「ジャーナリズム、斯くあるべし」と考えようと、考えまいと、多くの人たちが「ジャーナリズム」という言葉を使っています。それから、皆さん自身が仮にそういう言葉を使わなくても、やはり「ジャーナリズム」という言葉は存在します。困ったことにね。で、そうするとね、中尾ハジメなんか死んじゃっても、現実に「ジャーナリズム」ってものはあるんだ! それを皆さんがどういうものをしてとらえるかってことは、重要な課題なんです! そのためには皆さんが頭の中に思っていた「ジャーナリズム」、それをまず、断念することです。捨てなければならない。そのうえで、もう一度世の中にある「ジャーナリズム」を検討しなければならないんです!


前回の授業でわかったこと──どうやら多くの学生は、中尾ハジメの説明が不十分なために何をどう考えたらいいのかわからないらしい。舌足らずであることは自認しながらも、授業のねらいを変更するつもりのない中尾。今回は、作戦を変更して学生との論戦に突入しようとする──はたして成功するか、それとも再び挫折か。


■中尾ハジメ、糾弾される?──授業の進行についての討論会の開催

中尾ハジメ:さて、資料として、ミシュレの『鳥』の序説、ウィルソンの『ナチュラリスト・下』の最後の部分。あとは、「『日本はダメ』に疲れた」という見出しで、山崎正和さんが何か言っているのがありますね。それから、ピューリッツア賞のカテゴリーというか、こういうジャンルのものにピューリッツア賞を与えるんだよという説明書がある。島崎藤村『夜明け前』の一部があります。資料とは別ですが、手元に「討論会:中尾・松尾は何を考えているの? 授業の進め方について」という紙が配られていますね(笑い) これ、ちょっと読んでみましょうか。

「環境ジャーナリズム論」の授業をめぐって、「わけわからん」、「学長(中尾ハジメ)はいったい何を考えてるんや?」といった学生の声が聞こえる。「課題が多すぎる」、「自分のやりたいことをする時間がなくなる」──これは松尾(京都精華大学人文学部環境社会学科教員)担当科目(環境NGO論・環境政策論)をめぐって聞かれる声。

教員には教員の考えがあるし、学生には学生の意見、批判、注文がある。これはやはり、きちんと議論すべきものだと思う。

そこで、一度、授業時間外に時間をとって、じっくり議論してみたいと思います。中尾と松尾はそれぞれ、自分が何を意図して授業を行っているかを話します。学生の方でも誰か、問題提起的な発言をして欲しい。それをうけて、2〜3時間、ざっくばらんに話し合ってみよう。

中尾・松尾はいわば「被告」なので、司会・進行役をやるわけにはいかない。幸い、田村有香(京都精華大学人文学部環境社会学科教員)さんが司会・進行役(「行司」役)を引き受けて下さった。

意見・注文のある人は是非、集まって下さい。

日時:6月6日(水) 午後6時半〜 場所:本館3階会議室(301)

え〜、どなたが書いたか知りませんが、どうも議論したいようです。しかも、ぼくは被告人だそうです。検事役をやりたい方は、どうぞ(笑い)。

■ウィルソンにつながるミシュレの視線

中尾ハジメ:さて、配った資料に戻ります。先週読んだ、ミシュレの『鳥』の序文は、読んでおいてね。『ナチュラリスト』も読んでおいてね。今週中じゃなくてもいいよ。このふたつ、ミシュレとウィルソンの関係。ミシュレからつながるようなことが、今の時代にはこういう形になっているよ、というような感じですね。『ナチュラリスト』には生物多様性とか書いてあります。この訳者は荒木正純さんですが、彼は生物学者でもなければ、社会学者でもなくて、英文学の人だね。彼は「生物的多様性」という訳語をあてていますが、皆さんがよく聞くのは「生物多様性」の方だと思います。英語は、biodiversity だね。それから、バイオフィリア biopholia という言葉も書いてあります。ミシュレの時には、こういう言葉はなかった。ただ絶滅危惧──絶滅が危惧される種──というような言葉はでてましたね。あるいは、自然保護という言葉、「保護」というような言葉がありましたね。そんな点に注目しながらこれは読んでおいて下さいね。

■マルクス(1813〜1883)と島崎藤村(1872-1943)

中尾ハジメ:それから、マルクスのプリントがありますね。これは、マルクスの特徴なんですが、ものすごく理屈っぽいです。つまり、みなさんには読みにくいものだとおもいます。彼の一見ひねくれた理屈、逆説的ないいまわしについていけなくても、全然不思議はありません。ここから読みとって欲しいのは、タイトルに「材木窃盗取締法に関する討論」とありますね。「材木窃盗」という新しい犯罪を作ったんだね。そして、どうもマルクスは、この法律はおかしい、ということを言っているようだ、ということが分かればいいです。たとえば「木をかすめ取る」というような表現がされていますが、どうして、「かすめ取る」なんて言わなければならないのか。もともと、みんなのある種の共有財産──たとえば、枯れ枝なんか、自由に山に入ってとっていた──のに。それを、盗みだっていうふうに決める法律ができたんですね。自然の恩恵を享受していたことが普通ではなく犯罪になる、その時期をうかがい知ることのできるたいへんよい史料です。「ライン新聞 1842年10月25日付け」とありますね。次の記事は「1842年10月27日付け」とあります。毎日ってわけじゃないけど、2日とか、3日かいうペースで書いてたんだね。記事、論文といってもいいと思うんですけど、書いてたんですね。マルクスはライン新聞の主筆、主なライターだったんだね。「ライン新聞といえば、マルクス」というわけだったんですね。マルクスが生まれたのは、多分1813年くらいかな? すると、42年だから、29歳ですね。29歳の時に主筆をしてたんだね。

次は島崎藤村の『夜明け前』。岩波文庫版では、第2部の下のなかの第8章です。実際にこれが書かれたのは、1929年の4月から1935年の10月まで、足かけ7年間書いてたんだね。『中央公論』という雑誌に発表されました。今でもあるよね、中央公論。なぜ、『夜明け前』かというとね、先ほどの、マルクスの「材木窃盗罪」の話にもつながるんですが、あれは1842年でしたね、島崎藤村の『夜明け前』が描いていた時代にも同じ変化がある、実は明治維新が起きる前から物語は始まり、明治維新が終わるころの話がこの『夜明け前』の最後のところに出てきます。だから「夜明け」ってのは、明治維新のことなんだね。時代が変わっていくその時間帯を指して、「夜明け前」といっているんだね。『夜明け前』を、読んでもらうと分かるんですが、島崎藤村は、自分自身のおじいさんをモデルにしているようです。ほかにも皆さんおなじみの田中正造をモデルにしているような部分もあります。天皇に直訴するんですね。自分の詩を書いた扇子を読んでもらおうとする場面があるんだね。で、田中正造と同じように捕まっちゃうんだ。捕まってしかし、ひどい目に遭わない。それも田中正造と同じだね。その主人公の名前は半蔵といいます。『夜明け前』は、多分すんなり読めるものと思います。読んでおいてね。

■諫早湾のムツゴロウからのメッセージ

中尾ハジメ:もうひとつ、山崎正和さんのインタビュー記事。これは、今日(01/05/29)の『朝日新聞』からです。もうひとつは、これも今日の新聞ですが、先週の話のなかにも出てきた、「ジャーナリズムとは何か」をいう疑問を考えるのための資料です。

環境問題、たとえば温暖化についていうなら、それを防ぐべきだという人もいれば、それは問題ではない、という人がいるというように、いろんな意見がある。それぞれの意見はそれぞれの「ジャーナリズム」というものを持っている。だから、ジャーナリズムってのは、ひとつじゃないんです。さて、朝日新聞はどういう立場でしょうか。これを読んでもらえれば分かるかもしれないし、分からないかもしれません。そして、たとえば、アメリカの政策はこのジャーナリズムをどういうふうに展開しているのか。どういう論陣を張っているのか。ふりかえって日本では、たとえば京都にあるような『環境新聞』とかは、どういう論陣を張っているのか、というようなことは、皆さんも身近に調べることができるので、各自やってみて下さい。記事にも書いてるね、「日本、立場苦しく」。やっぱり立場ってものがあるんだね。

次、これは同じく今日の『日本経済新聞』からです。「私の履歴書」というコラムがあります。梅原猛というひとが、一ヶ月近くコラムを書いています。梅原猛は知ってる? 知ってるひと手を挙げて・・・(数人が手を挙げる)なるほど。知らない人、手を挙げて。(まばらに手が上がる)なるほど。じゃあ、日文研て言葉を聞いたことある? 国際日本文化研究センター。そういうのがあるんですよ。中曽根さんが首相だったときに、この梅原猛だとか、桑原武雄だとか、あと梅棹忠夫という、いわゆる京都学派といわれる人たちが、中曽根首相に直訴したんだね。それで、国際日本文化研究センターというなかなか内容のある研究所を作ったんです。その梅原さんです。う〜ん、みんな梅原さんしらないんだな〜。この人も歴史学者ですね。聖徳太子はどういう人物であったとか、かなりその当時の学会にはセンセーショナルな攻撃をしてきた人だね。で、今かれ何をいっているかっていうと、「縄文時代はこれまで考えられていたよりもっと高度な時代だった」っていうようなことをしてますね。日本の森林と縄文文化が彼にとっては大きな課題なんだね。これまで、日本の源流をたどっていくと、私たちの文明的源流はせいぜい弥生時代だ、縄文時代とは切れている。という考えが支配的だったんですね。ところが、梅原さんは、「それはどうも違う。俺は縄文人だ」というようなことをいっていますが(笑い)。そのひとが、「諫早湾の干拓には強い憤りを感じている」よというようなことを書いているんですね。その彼はムツゴロウに出会ったんです。要するに、もう水がなくなっているところで、「あわてて足を抜いて立ち止まったところ、一匹のムツゴロウがいるではないか」そして、もう一人の登場人物、山下さん──この人は専門家ですが──「こんな所にムツゴロウがいるはずがありません。トビハゼですよ」。しかし、梅原さんは「近づいて見るとやはりムツゴロウであり、これは奇跡だと驚いた」──こういうのは、ぼくはものすごく面白いと思うんですが──「そして、山下氏が手にとると、ムツゴロウは一瞬からだをぴくぴくふるわせたが、やがて氏の手の上で息を引き取った。私は、ムツゴロウが私を待っていて、何かを訴えたかったのだと思った」──みなさんね、冗談かと思うかもしれないけど、こういうの冗談じゃないんだよ。──「この広大な干潟で、何兆というムツゴロウが人間の行った自分勝手な愚挙のためにむなしく死んだ。その恨みを晴らしてくれと、ムツゴロウは私を待ち受けて、私の目の前で死んだにちがいないと思った。そのときからムツゴロウが私に乗り移ったのである」──で、亀を主人公にして書いてた小説があるんですが、主人公をね、亀からムツゴロウに変えて、書き始めるんだね──「ムツゴロウの恨みを晴らし、人間の誤りを正さねばならぬと私は思っている」。なにを言ってるんだ? と思うかもしれませんが、彼はきっと本気だと思いますね。そして、こういうのも、環境ジャーナリズムの一角なんですね。

でね、何でこういうものを見せてるかというとね、最初っからこの授業の目的なんですが、「環境ジャーナリズム」ってのは、どういうものかを考える。実例を見ていくことを通して考える。その実例のひとつですね。

■授業を振り返る

中尾ハジメ:さて、今日は何をするかといいますとね、A3のプリントを配ってあります。それは、先週の授業の様子を録音して、テープ起こししたものです。皆さんと中尾ハジメのあいだであったやりとりが、一応ほとんど書かれています。私は重要な発言をしたのに、載っていない、というようなことがあったら、言ってください。じゃあ、皆さん目を通して下さい。思ったことメモしながら読むんだよ。後で言ってもらうからね。

さて、読んだね。先週はこういうような次第でしたが、もう一回振り返って読んでみて、問題というかな──問題という言葉にもいろいろな意味合いがありますが──これは、どうも修正した方がいい、改良した方がいいというような問題。あるいは、改良のしようはないというような問題。もしくは、これはおもしろい、とか、発展させられそうだ、というようなもの。どの手の問題でもかまいませんが、この記録を読んで、どこに自分は問題を見つけたかということを言ってもらいたいです。人によって違うのは、かまいません。あたしは、ここが気になる、ここにこだわりたい。というようなことがあれば、どんどん言ってください。誰から話してもらおうか。じゃあ、中谷君。

中谷豪:気になったのは、『谷中村滅亡史』についてのことです。大場君と、中尾先生のやりとりで、なんとなく、中尾ハジメが用意するものはジャーナリズムではないような気がするけど、じゃあ、ジャーナリズムとは何かを聞かれたら答えられない。というところが「矛盾」であると先生には言われているんだけど、ぼくも大場君に同感でした。まだ、『谷中村滅亡史』は、政府とか、癒着している財閥とかのことを激しく批判していることが分かるんですけど、でもミシュレとか、ウィルソンの『ナチュラリスト』は、何かを批判しているというよりも、ただ自分の思いを語っている、という感じでした。で、そうすると、はたしてこれはジャーナリズムと呼べるのかな、という感じがしました。だからといって、ジャーナリズムとは何だ、と聞かれたら皆目見当がつかないのですが。

中尾ハジメ:さて、大場君。中谷君は君の発言の趣旨をつかんでたかな?

大場明広:だいたい、前回言いたかったことといっしょでした。

中尾ハジメ:そうかな? 中谷君は、「批判がなければ、ジャーナリズムではない」って言ったんじゃないの?

中谷豪:そういう面もジャーナリズムには必要だといいました。

中尾ハジメ:中谷君は、たとえば、政府権力を批判するような言論をジャーナリズムというんだよというふうに考えてるんじゃないの?

中谷豪:それだけじゃあないと思います。だって、それだけだったら、ちまたでおこっている殺人事件なんかは、ジャーナリズムではなくなってしまうし、アメリカで UFO をみたっていうのも、ジャーナリズムじゃなくなってしまいます。

中尾ハジメ:なるほど。そういう君の考え方からすると、ミシュレの『海』はジャーナリズムにはあたらないんだ。

中谷豪:はい。

■環境問題は「社会的」問題か?

中尾ハジメ:何か社会的事件が起こったときに報道するのが、ジャーナリズムだとすると、ミシュレの『海』とか、ウィルソンの『ナチュラリスト』には、そういう社会的事件がないじゃないか。ということやな? いいかい? 大場君は? よし、じゃあお聞きしますが、環境問題っていうのは、社会的事件かい?

中谷豪:はい。

中尾ハジメ:そうだよなあ。たとえば絶滅危惧種というのは、なぜ存在するかというと、多くの場合は、人間が何かをしているから、あるいは人間が食べてるから、そのせいである種の動物がいなくなるって話だよね。これは、社会的事件ですか? で、ミシュレはそういうこと言ってない? ウィルソンは?

ぼくは、そういうところで皆さんと意見が違うようだ。これは、中尾が正しいのか、中谷が正しいのか。そういう問題ではないようです。しかしどうも一度考えを整理した方がよいようです。だから、大場意見というのはたいへん重要ですね。で、それを分からないままにしておくのはよくないようです。な? そこで、やっぱり議論をしましょう。いま程度のやりとりでも、少し何かでてくるでしょ? どう? 何かでてきたって思う人いる? 手を挙げて。(ひとりしか手はあがらない)何だ、高橋さんだけか。中谷君、どうだった? ちょっと進歩したやろ?(中谷、うなづく)大場君、どうだ?(大場、得心しない様子)。そうか、じゃあいわゆる、自然保護的な立場に、大場君は立ってないって事かな? 大場君自身が、自然保護的な立場に立ってないから、ミシュレやウィルソンが何かを主張しているようには思えない。と、いうことかな?

大場明広:そういうわけじゃないです。

中尾ハジメ:じゃあ、どういうわけだと思いますか?

大場明広:社会的問題との関係が薄い気がします。

中尾ハジメ:うん、いいですね。でも、言いっぱなしにするのはよくないね。そういう見方は、当然論拠あるものとして認められていいものだと思います。で、そういうこと考えたら、書き留めておいてね。いま大場君が言ったようなことを、丁寧に書くと、それは「批判」と呼ばれうるものになると思いますね。ミシュレの『海』、ウィルソンの『ナチュラリスト』は、社会的批判性が乏しい。あるいは、社会とのかかわりが明確でない。したがって、社会とのかかわりが明確なものだけを指して、ジャーナリズムと呼んでいる自分としては、これらをジャーナリズムの仲間とは認められないと言っても言いと思います。で、これは、いま、大場君が考えたんだよね。だからね、明日にはまた別のことを言っていいと思います(笑い)。中尾ハジメの意見だって変わるかもしれないしね。

え〜とね、いまみたいな話し方をするとみんな困りますか? つまりね、大場君はジャーナリズムについての定義を持っている。で、中尾ハジメはその意見を準用するかもしれない。困る人、手をあげて。

長澤智行:困ります!

中尾ハジメ:おう、何で困るの? この問題も丁寧にやった方がいいね。もう一度言います。中谷君から始まって、大場君にまたもどってですね、やっぱりウィルソンやミシュレまで含めてジャーナリズムというには、抵抗があるというか、すんなりは納得いかなくなるというような意見があったのね。それをよくよく聞いてみると、「社会性が薄い」、「人間社会の問題」というふうに考えにくい。で、そういうものをジャーナリズムと呼ぶのには乗り気ではない。ということだね。で、ぼくはその立場を認めたいと思います。認めたいと思うけど、でも、その定義は、環境ジャーナリズムの定義としては使えません、と言ったら、皆さんは認めますか? では、あらためて、困る人、手をあげて。(数人手があがる)よ〜し、困る人。理由を言ってください。

学生:ジャーナリズムってのは、そういうイメージじゃないんです。環境だけじゃないと思うんです。そもそものジャーナリズムって言葉のイメージがあるのに、「環境」って言葉が頭についただけで、変わってしまうのには納得がいきません。

中尾ハジメ:ええ〜? 違うものになっちゃうの?

学生:(困って)え〜っと、先生が聞いた、「困る人」って、何について困る人って聞いてるんですか?(一同笑い)

中尾ハジメ:あのね、多分皆さんは、この授業の進み方に困っているんだと思うんです。当惑があると思うんです。で、その理由のひとつにですね、いま、ここで、大場君とぼくがやりとりをしたようななかに、理由のひとつがあると思うんです。いま、大場君は「ジャーナリズムはこういうものだ」という彼なりの定義を言いました。しかし、必ずしも中尾ハジメはそういうふうには思わないよ、というようにいいました。するとね、そんなこと言われると当惑してしまうという人はいると思うんですね。そういう意味で、「困る人」っていうのを聞いているんです。わかる?

学生:(まだ困って)え〜と、ぼくは、「社会問題」っていうのは・・・

中尾ハジメ:よ〜しよし。君が大場君と同じ立場だってのは、分かった。で、中尾ハジメの考えるジャーナリズムと違うってのも分かった。それで何か困るか?ってきいてるの。

学生:う〜ん、わかりません。

中尾ハジメ:(笑い)う〜ん、まずは、中尾ハジメの言ってることと、大場君の言っていることは違うな、てことが分かればいいです。わかった。まだ困る?

学生:困らないでいいんですか?(一同笑い)

中尾ハジメ:どうしても困っちゃう? まあ、いいや。もうひとつ言います。いまの大場君と、ぼくのやりとりは、もうひとつ違う方向に発展します。それはね、言い方は悪いけどね、ぼくが大場君を丸め込むんです。「環境問題が人間社会の問題でなくて、何の問題だ!?」という立場をぼくは主張したいと思います。クジラを捕るのは人間です。マンモスを食べちゃったのも人間です。で、そんなふうにして、いろいろな動物・植物のいろいろな種を絶滅させていくと、これは人間にもう一回バチがあたります。だから、こういう社会の進み方は一回止めた方がいいんじゃないか、そういう主張をしたいと思います。自然保護ってことを掲げてものごとを言おうとしている人たちは、誰に向かって言ってるの? ライオンに向かって言ってんの? アフリカゾウに向かって言ってんの? ちがいますよ。アフリカゾウを捕る人に向かって言ってるんですよ。人間同士のやりとりなんですよ。ホラ、どう? もう丸め込まれちゃったやろ?(一同笑い)だからね、関係、薄くないんだよ。ミシュレにしても、ウィルソンにしても、あれは社会のための自分とは違う立場の人たちに向かって、批判をしているんですよ。あれは、主張なんですよ。わかんないかな?

中谷豪:人間がらみやっていうのは、分かります。動物を絶滅に追い込んでるのも人間やし、アマゾンでアホほど木ぃ切ってんのも人間やし。人間社会のかかわりは分かるんですよ。でも、興味の問題というか、入って行き方というか・・・

中尾ハジメ:ジャーナリズムの定義をめぐって話してるのに、何で興味の問題になるのさ?

中谷豪:いままであった、ジャーナリズムってものがあるじゃないですか。

中尾ハジメ:いや、違うと思う。そうじゃないと思う。これも書いておくといいね。中谷発言だよ。みんなノート取りなよ。中谷君、もう一回ゆっくり言ってみて。

中谷豪:人間社会が環境に干渉しているという点で、かかわりがあるっていうのは分かったんですけど・・・

中尾ハジメ:興味がないって言ったんやろ? ぼくは関心ないよって言ってんのやろ?

中谷豪:ちがいます。入り方の問題なんです。

中尾ハジメ:入り方って何? どこに入るの?

中谷豪:訴えかけるって言うか・・・。えっと、上手く言えないな。・・・。えっと、この岩倉(京都精華大学近辺の地名)にすごい凶悪な殺人犯がいるっていう報道と、アマゾンの木がきられてたいへんだっていう報道だったら、どうしても、岩倉の殺人犯の方が、どうしてもがあっと入ってきて、そっちの方がジャーナリズムらしいと思えるんです。

中尾ハジメ:みんな書き留めておくんだぞ。こういうのはあとの理解の役に立つから。で、さっき言ってたのとちょっとずれたと思うんですが、要するに、すぐ身近に危険なことがあるんだったら、私は関心を持ちますよ・・・

中谷豪:持ち「易い」と言ってるんです。

中尾ハジメ:それだけのことを言っているんであって、ジャーナリズムの問題じゃないですね。

中谷豪:・・・。

中尾ハジメ:こういうの混同というと思うんですけどね。自分が言いたいことを、中尾ハジメが批判しているかのように思えてしまうのかな? だから、一生懸命自分を守って、「いやそんなこと言ったって、関心、持てないんだ」っていうようなこと言っちゃうのかな? その辺はぼくにもよく分かりませんが、やはり混同を感じますね。

中谷豪:ごっちゃになってる感じはあります(笑い)。

中尾ハジメ:べつに、ごっちゃになるのは悪くないんだよ。

と、いうように山ほどいろんな事が、前回の授業のなかで、いい加減なまま過ぎ去ってしまったようです。もう少し聞いてみようか。誰か、何か言いたい人いる?

■中尾ハジメと小松原さん

西村一恵:このプリントを読んでて思ったことでいいですか? このなかの、どうやって人と自分が使っている言葉の意味を調和させるか、戦うかっていうところが、難しいなって思いました。

中尾ハジメ:もうすこし言っておくれ。

西村一恵:自分は確信を持って、何かの意見を言っているんだけど、それを誰かと話し合ったときに、その人は自分とは違う意味で言葉を使っていたりする、とか、そういうところが難しいと思ったんです。

中尾ハジメ:うん、難しい(笑い)。これ、誰の発言だっけ?

西村一恵:小松原さんです。

中尾ハジメ:じゃあ、小松原さんにしゃべってもらおう。中尾ハジメとのこの前のやりとりで、あなたの問題は解決しましたか?

小松原佳子:・・・。解決とかいうより、そういうのかぁという感じがしました。

中尾ハジメ:(笑い)そういうのかぁ、と思ったんだ。小松原さんは、なんというか、洞察をしたんやね。で、西村さんもそう? 洞察したの? それとも、困ったもんだって感じかい?

西村一恵:(うなづく)

中尾ハジメ:小松原さんが言ってんのは、「言葉にはいろんな意味がある」ってことですね。この時点で何言ってるか分からないって人がいたら、手をあげてくれる?(まばらに手があがる)分かる人、いる?(あまり手があがらない。中尾ハジメ苦笑しつつ)どちらでもない人、手をあげて(ちょっと手があがる)う〜ん、やっぱよくわかんないんかな? どう? もう一回同じこと聞くよ。分かった人(あまり手はあがらない)。分からなかった人(やはりまばらにしかあがらない)。どちらでもない人(ほとんど手を手があがらない)。う〜ん、じゃあ、いま手をあげなかった人、手をあげてくれる? よし、じゃあ、なぜ、どちらにも手をあげられなかったかを教えて下さい。

斎藤里江子:先生の言ってることは分かるけど、小松原さんが言いたかったことかどうかは分からないんです。

中尾ハジメ:厳密主義だな〜。あのね、じゃあ、さっきのセンテンスだけじゃなくて、小松原さんが何かを言いました。そして、中尾ハジメはそれについて、君が言いたいことはこういうことだねと答えました。そして、小松原さんはそうだといいました。小松原さんの言いたかったことを言い換え、答えた中尾ハジメがいったい何を言っているか分かった人、手をあげて(少し手があがる) 分からなかった人、いる?(もはや、学生は困惑状態。どっちに手をあげてよいのか判断が付かない様子)じゃあ、え〜と、佐々木君。たいへん申し訳ないけど、どういうふうに分からなかったかを言ってくれる?

佐々木良太:小松原さんが言ったのは、言葉にはいろんな意味があるということを言った。ぼくは、小松原さんが、それをどういう意味で言ったのかよく分からない。

中尾ハジメ:いやいや、その後、中尾ハジメが何か言ってるやんか。

佐々木良太:はい。

中尾ハジメ:そしてね、その中尾ハジメが言ったことを含めて、小松原さんが言ったことだよ、としたときに、君は分からないと言ったんでしょ?

佐々木良太:はい。

中尾ハジメ:何が分からないの?

佐々木良太:(苦笑)

中尾ハジメ:いや、もう実例があるでしょ? 「ジャーナリズム」。僕たちはジャーナリズムという言葉を使っています。ところがその、ジャーナリズムという言葉を、その使い方がいろんな度合いや、色合いで存在するんですが、中尾ハジメはその自分が使っている色合いを疑いもせずにですね、「これはジャーナリズムのサンプルだよ」って、言って、あれこれ資料持ってくるけど、それがでてくるたびに皆さんのなかではしっくりこないという感じが起こっていたんですね。それは、「言葉にはいろんな意味合いがある」というサンプルじゃないですか? ぼくがしゃべるときに、「ジャーナリズム」という言葉が意味を持つんじゃなくて、みなさんが「ジャーナリズム」という言葉をつかうときには、はっきりとぼくが使う意味と違う意味を与えていたりしていますね。ですね? ということを小松原さん言いたかったんだよね?(小松原さん、苦笑しつつうなづく)ほら、そうだって(笑い)。じゃあ、分かった人?(けっこう手があがる)じゃあ、ちょっと余計なことを付け足しますがね、いや、余計じゃないんだけど、ある意味で余計なことです。こういう言い方が皆さんを混乱させるんだよね(笑い)。こういう言い方はイヤかもしれませんが、繰り返して言うと、ひとこと余計なことを言います、が、余計ではなく重要なことです。

■中尾は死すともジャーナリズムは死せず?

学生:(当惑している)

中尾ハジメ:それは、どういうことかと言いますとね、ぼくがどういう考えを持っているかということを、皆さんは必死になってつかまなければならない。そのためには、自分の言葉の使い方と、中尾ハジメの言葉の使い方が、違うんだということをキャッチしなかったらできない。まったくできるはずがない。ぼくは、新しい言葉を発明しません。たとえば、「ジャーナリズム」という言葉しか使いません。あるいは「生物学」という言葉しか使いません。「人間」という言葉しか使いません。でも、それを、皆さんが、いままで持っていた使い方とは、違う意味合いで使うに決まっています。そうでなかったら、ぼくは給料もらえない!(笑い)したがって、皆さんは、ぼくが言っていることは、まったく新しいことだと思って聞くよりほかはないんですわ。それで、かろうじて、みなさんが持っている経験のなかからもいろいろなものを動員して、「ああ、こういうことか!」ということを発見していくよりほかにないんです。で、そもそもこの授業を始める時にも、講義要項にも、その後も繰り返し、繰り返し言っていますが、私が考えている「ジャーナリズム」っていうのがあるんだよ。で、それはいろんなものがあるから、そのサンプルを皆さんにお見せします。できるだけたくさん見せます。皆さんは、その中から皆さんなりにいろんな考え方を作らなければならないし、その時には、「中尾ハジメは、ジャーナリズムをこういうふうにとらえてるんだな」ということを把握しなくちゃしょうがない。いいかい? で、ただし、皆さんがそれを把握しても、レポート用紙や答案用紙の上に、中尾ハジメがしゃべったとおりのことを書くというのを禁止します(「禁止」という部分を誇らしげに言う)そんなのは、お〜もしろくない! 自分がしゃべったことが、そのままオウム返しになって、レポートになって帰ってきても、ちいっとも面白くない! で、せっかく、いろんな素材を提供するんだから、皆さんはここが面白かったとか、あるいは、この素材と、このあいだの素材は、ここがこう違うとか、そういうことを皆さんの目で発見したことを書かなければならない。しかし、それをしようと思ったら、皆さんは、中尾ハジメがどうとらえているかってことを、おさえないと書けない。しかし、ぼくがどうとらえているかってことを、ただそのまま書いても、いい成績をつけることはできない。ということです。

もし、ここが問題だとしたら、今度6月にやる裁判で、いろいろ糾弾してもらわなくちゃならないんですが、いまのところ、ぼくはそういうふうに考えております。そして、さらに困ったことにもうひとつ付け加えなくてはならないのはね、中尾ハジメがどういうふうに考えようと、中尾ハジメがいかに「ジャーナリズム、斯くあるべし」と考えようと、考えまいと、多くの人たちが「ジャーナリズム」という言葉を使っています。皆さんを含めてね。それから、皆さん自身が仮にそういう言葉を使わなくても、やはり「ジャーナリズム」という言葉は存在します。困ったことにね(笑い)。で、そうするとね、中尾ハジメとはある意味切り離れて、中尾ハジメなんか死んじゃっても、現実に「ジャーナリズム」ってものはあるんだ! それを皆さんがどういうものをしてとらえるかってことは、重要な課題なんです! そのためには皆さんが頭の中に思っていた「ジャーナリズム」、それをまず、断念することです。捨てなければならない。そのうえで、もう一度世の中にある「ジャーナリズム」を検討しなければならないんです。

う〜ん、この授業、なかなかうまい具合に進んでいるとは思えないんですが、こういう風に、必ず、授業の進行に関する問題をほおっておきません。立ち止まります。で、ただ、毎回毎回、こういうふうに時間をとるわけにはいかないので、みなさんは授業中でもいいし、レポートのなかでもいいし、授業後でもいい。授業の進行に貢献できると思ったら、あるいは改良するべき案があったら、問題提起して下さい。いいかい?

で、言い忘れてたから、またちょっと付け足しね。資料で、山崎正和は、「ジャーナリズム」という言葉を使っています。で、小泉内閣支持率84%、それの責任はジャーナリズムにあるといっているんです。いい意味か悪い意味かは知りませんが。

あと、宿題。この人達について調べてくること。長谷川如是閑とは何者か? 戸坂潤。この人も何者か調べる。わかったね? でね、長谷川如是閑は、こういう定義を「ジャーナリズム」という言葉について使っています。そして、戸坂潤も定義をしています。そして、それは違っています。いいですか? 定義は人によって違ったりするんです。いろんな定義の仕方がある。どういうふうに違うのか、考えてきて下さい。「社会手段の対立意識の表現」、これが、長谷川如是閑の定義。戸坂潤の定義は・・・定義というべきものか分からないけど、こういう言い方をしています。ジャーナリズムにはこういう特徴があるといっています。(黒板に書く)

  1. 日常性、社会性、通俗性、政治性、批判性
  2. 「批評機能」
  3. アカデミズムでないジャーナリズム → 非専門的・総合的意識の契機であるべき

となっています。

アカデミズムではない、というのはちょっと難しいけど、専門的でないよということですね。僕たちがここまでみてきた資料では明確にはわかりにくいかもしれませんが、つまり、専門家ではないということです。それから、これが重要なんですが、「総合的意識の契機でなければならない」。さて、どういうことでしょう。そしてね、こういうことを、最初の段階で言わないのがぼくの流儀です(笑い)。とにかく、宿題をしてくること。わかったね。

柳田国男と長谷川如是閑

柳田国男(1875-1962) と長谷川如是閑(1875-1969)
(『定本 柳田國男集』第15巻(筑摩書房)より)

授業日: 2001年5月29日;