第12回 語り口とジャーナリズム

ハムレット(事実とは)

・・・かれ(デフォー)は徹底して、日常的な意味での「事実」の地平での証明に没頭するのである。

・・・かれは、説得力は、話者への「信」をよびおこし、聴き手の心に植えつけることに始まることを、よく心得ていた。デフォーは導入部にあたるところで、ここでは、「リーズナブル」な人間なら、いやでも信ずるに違いない「事実」を提示するのだ、よくみてくれ、と揚言する。・・・

ともかく、ニュース伝達経路に登場する人物はすべて「信頼できる」(信仰もあつく)人間であることが、うまく書かれているが、特に強調されているのは、ニュースの源、バァクレイブ夫人である。・・・

・・・バァグレイブ夫人は、私が努力して思い出して再現しているのは近似値でしかなく、ヴィール夫人の本当にしゃべった言葉は、もっとずっと立派で、整然としていた、とか、ヴィール夫人は「私と同じような実体をもっているようにみえた」とか、「私の感覚が間違っていなければ」、ふつうの人間となんのかわりもなかった、と言うのである。なかなか難しいことも言っている。

ともかく、われわれか問題にしてきたデフォー幽霊証明法の大綱は、そうしたものであった。論理的な文句はいくらでもつけられる、デフォー証明法のアラを探すことが目的ではない。かれの証明が、現実の地平で、「リーズナブル」に行われていることに注目しておけばよい。それは近代ジャーナリズムの文体とわかちがたい「事実」認証法の原基を提示している。

香内三郎『活字文化の誕生』(晶文社)より


■語り口の例 ──『最後の熱帯雨林』再訪

中尾ハジメ:今回の資料はまず『最後の熱帯雨林』の目次です。たぶん、みなさんの記憶にしっかりとは残っていないと思うんですが、もうちょっと丁寧に紹介をしておかなければならないと反省をしまして、今回の資料としました。で、資料の中から、アッテンボローの序文を再び見てください。あと全部ではありませんが、いくつかのページを資料として提示したいと思います。

この図鑑のような本、『最後の熱帯雨林』も、こういうのも環境ジャーナリズムだよというふうに紹介をしました。さて、序文の最初のパラグラフをご覧ください。最初の所に、「よく知られている」と書いてあります。本当に知られているんでしょうか? しかしそういう書き方をしています。そのパラグラフの最後にはどういう書き方をしているかというと、自分はその熱帯雨林にひきつけられてきた、ということを言っているんだね。私事といえば私事ですが。

その次のパラグラフは、「そうした脅威は・・・」と始まります。ここでは、もとの英語の文章は分かりませんが、どうも彼自身の経験から書いているようですね。だけど、彼は、彼自身が書いているように、もともと熱帯雨林で生まれて育っているわけではなくて、たとえば日本にいる我々もこういう風に体験をするだろう、ということが書かれているようですね。

そして、なんだかその場にいるような感じにさせるような書き方が続きます。かと言って、たとえば2段目の上から4行目、「ニューギニア」って言葉が突然出てきますね。こういう書き方もできる。自由自在です。さらに2行くらい読み進むと、「アフリカの山地林では」と書いてありますね。

次のパラグラフの頭は、「このような驚異のいくつかは独力で見つけられるが」と書いてあります。この「独力」というのは──くりかえしますが──ひとつは彼自身の体験でもあったんでしょうが、しかし読者もきっと同じだろう、と言っているような感じもします。その次の文章は、「現地の住民に案内を頼むとより多くを見ることができるだろう。」というふうに続くんですね。このへんは、彼自身がいろいろな映画をつくるときに、ジャングルにはいって仕事をするとね、やっぱりどうにもならないんです。そこに暮らしている人たちの助けを借りないとどうにもならない。そういうことを何回も経験しているんです。しかし、どうしてこんな事をわざわざ書くんでしょう? と、いうことをちょっと考える、というか味わいながら、もう一回読んでみて下さい。

その次には、ヨーロッパ──これはもう日本も含めてよいと思います──とは、世界が違う。どうしてもそこの人間でなければ持ち得ないようなタイプの知識があるということを書いています。

その次のパラグラフは、これは、ある人にとってはぜんぜん不思議ではないと思うんですが、ある人たちにとってすれば、とんでもない展開ですね。「このような森林の人々がすべて、自然との完全な調和の中で暮らす自然保護者の原型であるといってしまうと、現実離れしすぎて、間違ってさえいる」。これは、ものすごく重要だと思います。

その次のパラグラフは、いわばヨーロッパの人たちが16世紀、17世紀にこういう地域に入っていってどういうことをしたか、あるいは今どういうことをしつつあるか、どういう気分でそういうことをしたか、っていうことが書いてあるんですね。

さて、さらに進みますと、こうあります。

最近までは、こういった傾向が雨林に与える影響はわずかなものであった。しかしこの半世紀の間に2つの決定的な変化が起こった。突如として人口が急激に増加しはじめたこと、大変強力な機械が開発されてブルドーザーが森林をなぎ倒し地面をならし、樹齢100年の木も10分で伐り倒すことができるようになったことである。10年ほど前に、もしこのペースで破壊が続けば、熱帯雨林は近い将来完全に消えてしまうことに世界は突然気がついた。このような状況になってやっと、我々は森林のもつ価値や、森林が地球全体の生態系の健全さにとって決定的重要性をもつことに気づきはじめたのである。

というふうに書いてあります。世界がこういうことに気がつきはじめたというのは、みなさんならばどうやって知ることができるんでしょう。またアッテンボローは、どうやって「世界が気づき始めた」と考えたのでしょうか。考えてみてください。

その次も、ある種の人たちには意外な文章かも知れません。

このさし迫った破壊に対する警告は、熱帯雨林から遠く離れたところに住む人々によって特に声高に発せられた。雨林をかかえる国では、森林周辺に住む小農は土地不足に苦しみ、政治家は木材を早く売ることで緊急の経済問題を緩和しようともがいている。これらの人々にとっては、自分たちの森林は消滅させたうえで産業革命を行ってきた遠くに住む人々からの説教や嘆願は、暴力とも受け取れるものである。

その後もどんどん読んでいくと、みなさんは「あれ〜?」と思うかも知れません。ちゃんと読んでね。ちゃんと読めよ、と思います(笑い)。

というように、デイビッド・アッテンボローは明らかにみなさんの知っていることとは違う、独自の意見を打ち出しています。で、その彼の前書きにちゃんと呼応する形でこの図鑑はできあがっています。ですから、もう一回この本の目次を見て、資料であるこの本にも目を通しておいてください。この本はとても高い本です。写真とかいっぱい使ってあります。それから当然この本はコンピュータを使ってつくられていますが、例えばこの地図は人工衛星、ランドサットから撮った写真をもとにしています。いろんなところで写真を撮っているはずです。ビデオも撮ったでしょう。いろんな事をやって作っていますが、こういう風にして、みなさんの言葉を借りると、「事実」とか「情報」とかが、伝えられるんですが、その伝えられ方は先ほどのアッテンボローの序文からも分かるように、「主張」があるんですね。その主張を通して──これは本当におかしく聞こえるかも知れませんが──実は私たちは、ある人の「主張」を通して、色々な事実を知るというようになっているようです。ちょっと難しい問題ですが、すこし考えてみてください。

この『最後の熱帯雨林』という本は、一番最後になると、いろいろな国際組織の名前が挙げられています。そういう組織が何をしているかということと、みなさんがどういうことができるかということが書かれている。いわば「運動」です。「キャンペーン」です。「勧誘」です(笑い)。そういうふうにできているんだね。で、くりかえしますが、これもひとつの典型的な環境ジャーナリズムだね。

さて、ではこんな事がいつ始まったのだろう。これはいっぺんに始まったわけじゃないです。だんだんだんだんこういうふうになってきたのです。みなさんはすでにどっかでやっていると思いますが、レイチェル・カーソンは知ってるね。『沈黙の春』が有名ですね。さあこの本は、何が書いてあるんだろうか? 「事実」でしょうか? それとも「事実」は書かれていないんでしょうか? 考えてみてください。さて、『最後の熱帯雨林』は、とりあえずここまでですね。

■ポール・ハリソンの語り口

中尾ハジメ:さて、以前に紹介した資料にマーク・ハーツガードの『世界の環境危機地帯を往く』というものがありました。日本語版が出たのは今年、2001年ですが、もともとは1998年に書かれた本です。それの出だしは、中国の重慶の中国の景色から始まります。工場から出る煙で、すぐ先が見えない、というような描写から始まっておりました。マーク・ハーツガードも自分のことを環境ジャーナリストだといいますが、今回の資料『破滅か第三革命か』を書いたポール・ハリソンという人もいます。ハーツガードさんより年季が入っておりますが、大変に有名な環境ジャーナリストです。ポール・ハリソンはいわゆる第三世界を取材してたくさん本を書いております。『第三世界の内側』── あまりいい訳にはなっておりませんが、Inside the Third World という本。それから『第三世界の明日』── 第三世界の明日はどういうふうになるのかというような本もあります。

『破滅か第三革命か』『破滅か第三革命か』は、1994年に日本で出版されておりますが、元の本 The Third Revolution は、92年に出されておりますね。三一書房から翻訳の初版が出たのが94年です。その序文に目を通してください。すこし読みにくい文章ですが・・・

「私は、いつものように、誰にとっても完全に消化するにはあまりに大きすぎる人類の体験の一部をかじりとってしまった」・・・かじりとってしまったそうです(笑い)。こういう書き方をしています。かじりとらなきゃよかったなあ、という気持ちがあるのかなあ? あるいは、そうせざるを得なかったという話なのかな? 

「私が対象とした領域はみな目の前にぶら下がっており、それらの観察から始めなければならない・・・・・・このことについて許しを乞いたい」。誰の許しを乞うているんでしょうね。読者です。

The Third Revolution彼は「観察」から始めるそうです。「私は、分析と体裁上の理由で、村落事例研究五件を関連節にばらばらに収録せずに、それぞれ独立した章にまとめた」。何のこったかなあ、とみなさんはお思いになるかも知れませんが、書いているポール・ハリソンさんは一生懸命です(笑い)。「地域社会は関連のない要素の寄せ集めではなく、すべてが協同で機能している。一連の地域研究では、少しだけ移動焼畑農耕を行う狩猟採集民(マレーシア)から年間数種の作物を栽培する恒常的な農民(バングラデシュ)への進歩を追跡している」・・・このように書いたということだね。

その次が要注意だね。「誰一人」、なんと! 「誰一人」だそうです。「誰一人ある種のイデオロギー的信念から自由になることはなく、私も自らが自由であると主張しない」。いったいなんでしょう、これは? 「しかし、私の荷物のなかのもっと大切なスーツケースは明確な実証主義である」。な〜んでしょう、な〜んで「荷物」だとか、「スーツケース」だとか言うんでしょう? しかしそういうふうに言うんですね。「その手段は、世界をその複雑さを含めてあるがままに観察し、できるかぎり先入観を避け、証拠を調査し、どこで問題が進行しているか観察することである」。 こりゃまた、言葉を並べましたねえ。「世界の各地域間の平等の前進を願い、これを支持する人たちがいる」。「各地域間の平等」っていうのは、日本が、こんな風に「不況だ不況だ」といいながら、なんだかダラけた豊かさを享受している。で、別の所にいったら、目の前でどんどん人が死んでいくところがあります。これはやはり「地域間の不平等」です。「私が彼らの議論の一部を非難するとすれば」──一部といっていますからね、注意してくださいね。全部じゃないですよ。「彼らの目標に同意しないからではなく、しかしこれらの議論が不完全であり、証拠と一致せず、誤った方向へ導かれているからであり」── ポール・ハリソンには、誤っていることが分かるんですね──「それ以上のことではない」。目標は共有するけどその議論に同調はできない、といっているんですね。

で、彼は、議論しようというんですね。証拠を持って。「急進主義者は、その目標を達成できないことをさとることもあるかもしれない。人口増加は「問題ではない」という議論は、それがひとつの問題を構成しないという意味である」。なんのこっちゃ。おもしろいですねえ。「こういう議論の場合、女性が自らの妊娠を決定する権利を否定するすべての人たちの論拠を強め、人口増加にともなって、『現実』の問題として認められているあらゆる問題が悪化している事実が無視される」。議論を簡単にするのには、急進主義になるのが近道ですよ。すべての悪は、なんかの所為にしたらいいわけですよ。で、それをやっつけちまえばいいんですから。まあ、やっつけるのもむつかしんですけどね(笑い)。

で、ひとくちに環境問題といって、何か問題を指し示し、その問題を解決する。これは大変です。簡単には行かない。ポール・ハリソンはそういうことを言うとるんですね。これは明らかに「主張」です。で、環境問題を論じるいろいろな人たちの間で、ポール・ハリソンは「私の論じかたは、ほかのある種の人たちとは違う!」ということを主張しています。現実に、いろんな主張がすでにあるんですね。その中で私の主張はこうだという立場をつくりあげる。そういうジャーナリズムの働きなんですね。しかし、これはポール・ハリソンのジャーナリズム。

「しかし世界は複雑である。われわれはある範囲で問題を単純化しなければならないが、単純化しすぎると、世界を正確に理解する希望、多数の問題の取り組みで協力する希望はなくなる。われわれが協力せず、少しの間しか問題に取り組まず、他の問題を未解決のまま放置すれば、われわれの末路は遠くない」・・・ということだね。そしてその次に注目。どこに注目してくれてもいいんですが、僕は特にここに注目して欲しい。「各章の見出しは、可能なかぎり私が愛読する文学「ハムレット」から引用した」。(笑い) さて、何でこんなことしなきゃいけないの? 別にそんなことしなくていいのにねえ。な〜んで、『ハムレット』なんでしょう? 何でだろうか、それはみなさん考えてください。「各章の見出し」ってのは、たとえば第1章は「部分的真理」だけど、第四章の「スズメの墜落」とか、「堅い木の実に閉じこめられて」なんてのはきっとそうだね。「不毛の岬」「土の精」とかもそうかな? 第十三章の「ごみの時代」なんてのはきっとちがうね。え〜、いったいジャーナリストってのはどういう人たちなんでしょう。こういう種類の人たちがいるのは分かりますね。しかしそれぞれの人が、それぞれの人なりにジャーナリストであるには、どういうふうにしなければならないのか? ちょっと、オーバーな言い方をすれば、ポール・ハリソンにはどうしても『ハムレット』が必要だったんだね。どういうことか考えて欲しいと思います。

■ 語り口と「事実」

中尾ハジメ:さて、今日の本題に入ろうか。今日の本題は厄介な代物です。それは、まだ未解決でずっとやってきた、清水さんが──今日は欠席のようですが──言っていたことですね。あるいは佐々木君も言っていました。「事実を伝える」。それはどういうことだろうか? その間みなさんはいろいろ考えてきたと思います。斎藤さんなんかは「伝える」ということを考えました。それはおそらく、「人と人の間にあるジャーナリズム」という問題意識でしょう。さて、抽象的に考えてみましょう。答えが出ないということはほぼ分かっていますが──出るかも知れませんが──出たとしても抽象的にしか出ないでしょうが──それで一向にかまいませんが、「事実」はいったいどこにあるのか、という問題です。「事実はいたる所にある」という言い方もありますね。その「事実」が重要であるかどうか、という問題もあります。そして、この「重要」という言葉に含まれている意味は何でしょうか。考えてみてください。

「私にとって重要」ということを言ってもかまわない。しかし「私にとって重要」という意味は、「社会にとっては重要ではない」ということを意味しないということを注意してください。むしろ何かを伝えようとしているからには、ただ「私」というだけでなくて、「社会的に重要である」と思うからですよね。誰が思うんでしょうか? 思うことができるのは「私」だけですね、困ったことに。それは「私だけ」が思う、ということではなくて、思う主体はいつでも個人だということです。で、ある人たちは「いや、集団的な心がある」というかもしれませんが、言ってもほとんど意味がないですね。それで、突然言ってしまいましょう。そういうのが「ジャーナリスト」なんですね。「伝えようとする人」。

で、もうちょっとみなさんに親切に言うならば、ジャーナリストという言葉が使われるようになって、そういうひとたちが実際に世の中にいて、なかには「私はジャーナリストです」と名乗る人が現れるまでにもなった。それはいうまでもなく、印刷技術が生まれて、その印刷というメディアを通して、ものすごくたくさんの人たちに伝えることができるようになる、そのときに「ヨシ、俺はこの方法を使って、自分が社会にとって重要だと思う出来事を伝えよう」となってるんですね。こういうのを「ジャーナリスト」っていうんですよ。

そして新しいメディアが生まれます。新しいメディアごとに、新しいジャーナリストが生まれますが、しかしかわらずに重要だと思うことを伝えようとするんですね。さあ、もう一回考えてみましょう。「事実はどこにあるのか?」。「伝えるということはどういうことか?」。そしてですね、次に少し変わった資料を提示します。

■幽霊という事実・事実という幽霊

『活字文化の誕生』中尾ハジメ:香内三郎という人が書いた『活字文化の誕生』。晶文社の本です。なかなか面白いことを言っております。その本の中に、ダニエル・デフォーという人と、ジョナサン・スウィフトという人が出てきます。スウィフトは『ガリバー』であるとか、ラピュタであるとかで有名だね。彼の同時代人に、デフォーという男がいるんですね。絵がありますね。おそらく木版画でしょう。『ロビンソン・クルーソー』の図だね。18世紀の頭の頃のひとです。それで、何でデフォーが出てきたかというと、しばらく前にフランスの話をずいぶんしましたね。フランスの話をしたのは、ヴィクトル・ユーゴーとか、ミシュレとか、19世紀の話でした。それよりさらに時代はさかのぼって、イギリスではどうであったか、ということを香内三郎という人が、かなり丁寧に、というかいろんな事を考えながら、調べたんだね。これ、読んでおいてね。

デフォーさんは、ふたつの非常にはっきりした政治的勢力、相対する政治勢力のどちらにたったのかな、そういうことから自分は距離を置こうとしたのかな? 置こうとしなかったのかな〜? よく分かんないけど、これを読んだら分かります(笑い)。

結局どうなるかっていうと、とっつかまって、首かせをはめられて、さらし者にされるんですよ。で、そのときに留置所で、ジャーナリズムを行使する── この人はジャーナリズムの人だからね──ある戯れ歌をつくるんですよ。その戯れ歌がどういうものであるかというと、「首かせ賛歌」っていうんだね。これを何らかの方法によって印刷をして、自分が首かせをはめられてさらし者にさせられるときに、ばらまいたんだね(笑い)。そういうことをした人です。だから、政治的に、厳しい状態にあるときにジャーナリストは──たとえデフォーのような危ない橋をあえて渡ろうとしていなくても──どちらかの陣営がそのジャーナリストに目を付けたり、もしくはあるジャーナリストがどちらの陣営から逃げようとか、荷担しようとか思うと、それはなかなか難しい立場に常に置かれることになります。だけどよくよく考えてみたら、環境ジャーナリズムなんて、これは環境問題があるよ、何とかしなきゃいけないよっていう「主張」ですね。大変ですよ、覚悟してください(笑い)。

さて、あるご婦人が幽霊とお話をしたということを、ジャーナリスト・デフォーが捕まえて、これをたいへん立派な記事にします。さて、みなさんの頭の中にあるわけ方は、おそらく「何でこんなバカなことを」とか「非科学的だ」とかいうことになると思うんです。「正しくない!」とかね(笑い)。だけどねそもそも僕ら自身の「正しい」とか「正しくない」とか、さっきもちょっと問題にしましたけど、その判断はどこから来るんでしょう。大問題です。

かつて自分の住むロンドンがたいへんな嵐に見舞われたことがありました。その嵐の被害状況を数字を使って、家が何件倒れたとか、何人の被害者が出たとかいうようなことを克明に調べたんですね。数字ジャーナリズムの元祖なんですね。そういう人でもあったんですが、その同じデフォーが今度はなんで幽霊。幽霊っているんでしょうか? いるとか、いないとかいう言葉で語ろうとするのがそもそも間違いなのかな? よくわからない(笑い)? しかし、「人間の体験」ということで考えたらそんなに不思議なことでもないような気がします。

さて、みなさんは今までいくつもの例を見てきたわけですが、それらを見ながら自分たち自身が最初に持った問題意識、「事実を伝えるとはなにか?」あるいは、「主張するというのはどういうことか?」 自分がいま目の前にしている文章は、主張しているのか、あるは事実を伝えているのかを考えながら読んだに違いないと思うのです。が、これは本当に深刻な問題です。簡単に「あ、これは事実」だとか「これは正しい」「ああ、これはこの人の主張に過ぎない」なんてことは言えるとはぼくは思いません。それでデフォーさんの紹介をしている香内さんが最後の方でどういうことを言っているのか、ちゃんと各自見ておいてね。

ポイントだけ言っておきます。184ページ「「情報」政治の構想」、それから199ページ「「スピリット」論争」のすぐあと、ジョセフ・アディスンというひとが、1711年に『スペクテータ』と言う新聞に書いたことを見ておきましょう。「どちらの意見にもくみすることなく、中立の立場を守らなければならないことがらがある。どんな断定にも腰をすえようとせず、漂い流れる信念は、みっともよいものではないが、注意深く誤りと先入観を避けようと願う精神にとって、絶対に必要なことなのだ」。

その次に注目。201ページ「ジャーナリズムの文体」という項目があります。ここも読んでおいてね。デフォーはなんと「文体によってジャーナリズムは、ジャーナリズムになる」というようなことを考えたらしいです。いったいどういう意味でしょう。202ページの中頃を見ますと──「バァグレイブ夫人の話が「事実」だ、ということをデフォーはどうやって読者に信じさせようとしているのか」。面白い言い方ですね。「事実であると信じさせる」──香内さんはそういっています。

205ページも見てください。後ろから6行くらいの位置、「ジャーナリズムの文体がどうあるべきか、という規範は、デフォーにいたってはっきり自覚されたかに見える。まだこの時期のジャーナリズムは具体的な『読者像』を想定できた模様である。しかし、デフォーのこの文体は、等級の違う二種の「読者像」を、常に意識して共存させなければならない『諷刺』には向かない」

「まだ」といっておりますね。つまり、今となってはもうできない、という意味ですよ。今となっては、具体的な読者像を想定することはムリだろうな、と香内三郎さんが考えているということです。

「額面どおりに受け取って、いわば欺される読者と、もうひとつ先の意味を読みとって、欺される読者をも含めて笑うことのできる読者、とである」。これはちょっと難しい話ですね。デフォーが首かせをはめられた理由は、その当時のジャーナリズムというものは、ものごとを滑稽に見てやろうという精神にあふれていた・・・。みなさんにとっては厄介な問題かも知れませんが、19世紀のマルクスの新聞を見ましたね。「材木窃盗法」をつくっている人たちを皮肉っぽい理屈で、こんなに滑稽な人たちだということを言うとるんですね。さらに、さかのぼってこの18世紀のイギリスのジャーナリズムがしたことは何かというと、こんなのおかしいよ、滑稽だよと、とりわけ自分の敵方にあたる人たちをけなし、バカにする。バカにしかたが色々あるんですね。しかし、「欺される読者」と「もうひとつ先の意味を読みとって、欺される読者をも含めて笑うことのできる読者」という二種類を想定して書かなければならないけど、デフォーにはそれはできない、と香内三郎さんは言うております。そんなことを言うと、スウィフトの方を読んでみたいとみなさんお思いになるかも知れませんが・・・面白いよ、『ガリバー旅行記』。読んでみて下さい。

 ここにある問題は次のようなものです。ジャーナリストという主体があり、この種の人はある意味においていうと政治的状況の中に生きなければならない。で、時には──特に環境ジャーナリズムなんてのははっきりするものだと思うのですが──あるひとつ以上の運動──環境問題に向かおうとする運動──と無関係に環境ジャーナリストは存在し得ない。ある環境ジャーナリストは、どの党派、派閥、あるいはサークルにも属さずに独立して、環境ジャーナリストになろうとするかも知れませんが、なったとたんに自分はある主張をすることになります。そしてその主張は、ほかの人と必ず調和するとは限らない。あたりまえだけどね。しかもそのジャーナリストは、やっぱり事実を書こうとします。諸君がジャーナリストになったとしたら、「事実を書こう!」と思うはずです。で、ポール・ハリソンが言うように、「私は観察をして、単純化こそしたくないが、実証的なジャーナリストになりたい」とか考えるわけです。だけど「事実とは何か?」という大問題は続きます。次の資料で考えてみたいと思います。

■『黒い雨』と『重松日記』

中尾ハジメ:重松静馬という人が書いた日記を編集して、『重松日記』という本がつい最近筑摩書房から出されました。さて、みなさんは井伏鱒二の書いた『黒い雨』をきっとご存じですね。今回の資料は、このふたつを比べてみます。『重松日記』についている、井伏鱒二が重松さんにあてた手紙も見てみましょう。

『黒い雨』、みんな読んだことある?(手は挙がらない)う〜ん、しょうがないな。これは、人によっては小説という人もいます。戦争文学だという人もいます。ユーモア文学だという人もいます。しかし、この話は深刻な話ですね。これは有名な話で、このことで井伏鱒二さんを攻撃するようなことにもなったし、逆に井伏鱒二はそれでいいんだ、というような評価になったりもしました。井伏鱒二が、ある人の日記、それも複数の人が書いた日記をもとにして、この『黒い雨』を書きました、と言ったんだね。その本になった日記も、重松さんという人の日記だということも分かっておりました。ところが重松さんの日記を長い間誰も見ることができなかった。それは重松さんの遺志でもあったろうし、家族の方が誰にも見せない方がいいと考えたんだね。

重松日記言うまでもなく、1945年8月6日のその日から──書いたのは9月に入ってからだと思うんですが──この日記は書かれています。井伏鱒二は最初、これは自分には荷が重くてできない。直接体験をしたその人達が書いた以上のものを書くことはできない、と考えたようです。ところがそんなことは言わないで書いてくれ、しかも日記をそのまま出すのではなく、書いてくれ、といったんですね。『日記』の方をすこし見てみましょう。

積乱雲の大クラゲが、脚を震わせながら広島を襲い、地上からは火焔が竜巻きあがり、中天を焼き貫き、火焔が伏走しては、太田川の川口の砂礫の上に幾百年かで築き上げた文化と人命を、数時間にして焼き尽くし、市街を人骨の破片と化し、市民の霊を地下幾千メートルかに葬り去った。

という文章で始まります。これは子供にあてて書いているんですね。

市街も変るであろうが、それでも地形的には、大体の死線上の彷徨路線や、市民の生命と共に市街が焼けていくその凄惨さの概要はわかると思う。そして何時の日にかに、変わりゆく歴史の一頁の起因や実状が幾分でもわかってくれたら、それで満足である。 昭和廿年九月 避難先の社宅にて 父 (花押)

というふうになってますね。「花押」ってのはサインのことです。というわけなんですが、この子供達を最初は対象にして、お父さんは書いたんですが、それを見る機会を持った井伏鱒二はいろいろためらったんですね。自分にはできない。このまま出版した方がいい、というように思ったんだけど、重松さんはどうしてもこのまま出版するのでなく、井伏鱒二に書いて欲しいと言ったんだね。見てごらん。たしかに重松静馬の書いたものと、井伏鱒二の書いたものは違います。しかし、本当に違うのだろうか? ひとつはやはり「事実とは何か」という問題です。これは読むのは大変なものかも知れませんが、環境問題ということに焼き直したときに、「事実」にあたるもの、自分たちが「伝えなくてはならない」と思うことは、いったい僕らが考えてきた「事実」ということとどういう関係になるのか。もしくは、そもそもそういう考えで人にものが書けるだろうか、ものが言えるだろうか? 何を伝えるのか。

たとえば、デフォーがある文体をもって──一生懸命考えたと思うんですけどね──その文体をもって、正しくものを伝えることができるようになる、と思う。片一方でそれを見ながら、「な〜に言ってやがるんだ」と思っていたやつもいるということを、香内三郎さんは書いておられます。が、じゃあ、デフォーのような文体でないとして、どうやって伝えることができるのか、どうやったら事実をつかむことができるのか。面白いといえば語弊があるかも知れませんが、面白い問題ですね。

重松さんは、『黒い雨』の中では「閑間重松」という名前ででてきます。重松さんが書いている文章は、重松さんの言葉を借りると、次のようになります。

視界に入り記憶している状況や、

「記憶している」といいますが、誰が記憶しているって、重松さんが記憶しているって事ですね。変な話ですが、記憶っていうことは、自分が記憶しているようにしか、人は記憶できません。だから人によっては、「そんなものは記憶に過ぎない」なんて言い方をするかも知れない。

死の苦しみを、思い浮かぶままに、

「思い浮かぶ」ときましたね。「なんとけしからん!」という人もいるかも知れません。しかし、それしかできないんですよ。

字句にとらわれず、記しておく。

「字句にとらわれ」ないんだそうです。これはいったいどういう意味であるか、みなさん考えてみてください。あきらかに重松静馬の文体があります。しかし文体があるというのは、重松静馬が言う「字句にとらわれず」ということとどう向き合うのか? そのことも考えて欲しい。

さて、いささか無理矢理にですが、こういう言葉を使いました。「統合力」。たいへんに人工的な言葉ですが、やむにやまれずこういう言い方をします(笑い)。で、これを「すがた」とか、「すがた・かたちがある」という言い方もしました。その対局にあるものとして、「劣化する情報」、こういうものをおいてみました。もし伝えるということが、みなさんと無関係に存在する「正しい世界」のようなものから、もし伝えるとしたら、もしそれがジャーナリズムの仕事だとしたら、それは「劣化する情報」にしかなりえない。そうではなくて、「正しい世界」があるかどうか知らない。けれども、政治だとかなんとか言いながらケンカしている現実がある。自分もケンカの一員だったりもする。しかしそういうことによって──という狡い言い方をしますが──「ケンカをしている自分」は、はっきりした「すがた・かたち」を持っているはずです。その自分がとらえる事実、伝えたいこと、それは劣化しません。創られるんです。でもねつ造してるわけじゃないよねえ、原爆なんて勝手におちてきやがったんだもん。そういう問題があるなあ。環境問題は、みなさんが作ったわけじゃないもんね。もう、みなさんの問題は、原爆の日記を書いて重松静馬になるか、書き直して井伏鱒二になるかっていう世界ですよね。いずれにせよ、劣化しません。井伏鱒二はこれで賞を取っちゃいます。彼はそれを喜びませんでした。しかし、重松さんは、ぜひ賞を受けて欲しいと井伏鱒二に言い、井伏鱒二は受賞をしました。その時の井伏鱒二の言葉は、「これはルポルタージュです。」と言っておりました。

今日はこれで終わります。

黒い雨
授業日: 2001年7月3日;